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『天の都を目ざして』2025年11月2日
説教題: 『天の都を目ざして』 聖書箇所: 旧約聖書 詩編13:2―6 聖書箇所: 新約聖書 ヨハネによる福音書14:1-6 説教日: 2025年11月2日・降誕前第8主日_召天者記念礼拝 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 11月2日は召天者記念礼拝として、多くの方ともに礼拝を捧げることができることを感謝いたします。この根津教会は1899年に日本福音教会によって伝道がなされ、そして1919年に本郷福音教会という名前でこの地に会堂が建てられました。1941年に今、私たちが属しております日本基督教団に加入するにあたり、名称が根津教会と変えられて今日に至ります。 教会設立から今年で126年目、根津での教会としての建物は106年の歴史があります。この教会の教会員として信仰生活を送られて、天に召された方々はお配りしたプログラムにお名前が記載されている通り53名おられます。今日のこの礼拝には、年に一度、この日だけ礼拝に集われるという方もおられますし、毎週、ここで礼拝を守っている教会員もおられます。いずれにしましても、主イエスというお方によって結び
2025年11月3日


教会コンサートのご案内
2026年2月11日14:00〜 根津教会主催の教会コンサートが開催されます。 皆さまのご来場をお待ちしております。
2025年10月27日
『種は蒔き続けられる』2025年10月26日
説教題: 『種は蒔き続けられる』 聖書箇所: 旧約聖書 イザヤ書55:8-11 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書13:1-23 説教日: 2025年10月26日・降誕前第9主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 前回、共に聴きました12章の最後のところでは「外に立つ」ということが主イエスの母・兄弟たちによって示され、一方、主イエスと共にいる関係、天の父の元に集められている新しい家族としての歩みがその対局として語られていました。外に立つ者としての母・兄弟たちに対して厳しいお言葉を語られました。今日の箇所では、主イエスが「種を蒔く人」について、たとえで語られ、弟子たちにたとえを用いて話す理由を話され、「種を蒔く人」のたとえについて説明されるという3部構成になっています。たとえ、理由、説明という形で語られていますが、別の点にも目を向けたいと思います。それはたとえを群衆に語られ、理由と説明を弟子たちに話されたということです。それは前回の内と外ということともつながっているようです。つまり、同じ船に乗っている弟子たちと岸辺にいる群衆という位
2025年10月27日
『新しい家族』2025年10月19日
説教題: 『新しい家族』 聖書箇所: 旧約聖書 詩編133:1-3 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書12:46-50 説教日: 2025年10月19日・聖霊降臨節第20主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 今日の箇所で12章が終わりとなるわけですが、今日の46節以下の出来事は唐突に語られているわけではありません。46節の始まりには「イエスがなお群衆に話しておられるとき、」とありますから、これまでの物語と結びついております。遡ってみてみますと、12章の始まり、ある安息日の麦畑の論争に始まる一連の出来事の終わりとして見ることができるでしょう。麦畑での論争の後、主イエスは会堂に入られたことが9節に示されていました。そこで手の萎えた人を癒されました。そして22節以下では悪霊に取りつかれて目が見えず、口の利けない人を癒されました。そのような癒しの物語の最後にこの46節から50節があります。ここに記されていますのは、その小見出しにありますように主イエスの母と兄弟が主イエスのところにやってきたということです。この出来事はマルコの3章にも記さ
2025年10月20日
『しるしを求める信仰』2025年10月5日
説教題: 『しるしを求める信仰』 聖書箇所: 旧約聖書 ヨナ書2:1-11 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書12:38-45 説教日: 2025年10月5日・聖霊降臨節第18主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 「先生、しるしを見せてください」、律法学者とファリサイ派の人々が主イエスにこのように申しました。主イエスが神から遣わされた救い主であるということがはっきりわかる証拠を見せてほしい、ということです。主イエスが神の子であり、そして救い主であるという証拠なしには、信じることはできないという思いから発せられた言葉です。ヨハネ20章には弟子のトマスは、主イエスの復活を信じることができず、「あの方の手に釘の跡を見て、そしてこの手を脇腹に入れてみなければ、私は決して信じない」と言ったことが記されています。自分の目で見て、自分の手で証拠を確かめてみなければ、信じられないというこのトマスの思いは私たちも持っているのではないでしょうか。証拠を求めているのは、この律法学者、ファリサイ派だけではなく私たちも同じではないでしょうか。 ■よこ
2025年10月6日
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