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『神の武具を身に着ける』2026年4月12日
説教題: 『神の武具を身に着ける』 聖書箇所: 旧約聖書 詩編18:31-37 聖書箇所: 新約聖書 エフェソ6:10-18 説教日: 2026年4月12日・復活節第2主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 今日は午後に教会総会を予定しております。毎年、教会総会の日は、その年の教会標語から説教をしています。今年度の教会標語はエフェソの信徒への手紙6章13節以下の「神の武具を身につける」といたしました。このエフェソの信徒への手紙は伝統的には使徒パウロの獄中書簡とされています。そしてまた、この手紙は教会の手紙とも言われます。1章から見てみましても、1章23節に「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」とありますし、4章12節以下では、教会に連なる一人ひとりの霊的成長により、その体全体、教会は節々が補い合い、組み合わされて、結び合わされて、それぞれが働き、そして教会が作り上げられていくとパウロは語っています。そのように一人ひとりの歩みがキリストのように歩むことが教会の歩みであると語られていま
2 日前
『振り向けばそこに』2026年4月5日・復活日
説教題: 『振り向けばそこに』 聖書箇所: 旧約聖書 イザヤ書42章10-16節 聖書箇所: 新約聖書 ヨハネによる福音書20:1-18 説教日: 2026年4月5日・復活日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 主イエスが十字架におかかりになって死なれて、三日目に甦りをなさいました。今日はその復活をお祝いするイースターです。イースターは毎年、同じ日付というわけではありません。今年はちょうどこの2026年度の始まりの4月第1主日になりました。新しい学校、新しい年度、新しい会社、また特に大きな変化はなくとも、それぞれに一つの区切りの月として覚えていらっしゃる方は多いことでしょう。主イエスが甦りをなさったこと、それは新たな始まりです。今日は合同礼拝として、共に礼拝をお捧げし、この新たな始まりについての御言葉を聞き、共にお祝いしたいと思います。 ■主イエスの死 主イエスは金曜日に十字架につけられました。この時、主イエスの十字架のそばには、主イエスの母、その姉妹、そしてマグダラのマリアがいました。主イエスが死を迎えられ、そして安息日になるま
4月6日
『子供たちの共同体』 2026年3月29日
説教題: 『子供たちの共同体』 聖書箇所: 旧約聖書 イザヤ書11章1-10節 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書18:1-9 説教日: 2026年3月29日・受難節第6主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」やってきた弟子たちが主イエスにこう尋ねるシーンで今日の箇所は始まっています。かなりあからさまな質問です。なぜここで弟子たちはこんな質問をしたのでしょうか?ここで「だれが」と言っているのは、明らかに自分たち弟子たちの中の上下関係のことを言っているのでしょう。この状況の背景として、少し前からの主イエスと弟子たちのことを振り返っておきたいと思います。16章13節以下でペトロが「主イエスはメシア、生ける神の子」と告白し、主イエスは「この岩の上にわたしの教会を建てる」と、教会はそのような信仰告白という岩、土台の上に建てられるということが示されました。そして主イエスはそれに続けて受難予告をなさいましたけれども、弟子たちはそれをきちんと受け止めることはできませんでした。エルサレムに行
3月30日
『神の子どもたちの自由』 2026年3月22日
説教題: 『神の子どもたちの自由』 聖書箇所: 旧約聖書 出エジプト記30章11-16節 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書17:22-27 説教日: 2026年3月22日・受難節第5主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 今日の始まりは主イエスご自身による2回目の受難予告の箇所です。ご自身による受難予告は3回、第1回目は16章21節以下にありました。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」このときというのは、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です。」という信仰の告白をした、それに続いて語られたものでありました。そして第3回目は20章17節以下、この後、いよいよ都エルサレムにお入りになって殺されてしまうというその最後の段階になるときに語られます。場所を見ますと、16章13節以下のペトロの信仰告白の場所は、フィリポ・カイサリア地方、つまり、聖書巻末地図6でみてお分かりになるように、ガリラ
3月23日
『不信仰な時代でも』2026年3月15日
説教題: 『不信仰な時代でも』 聖書箇所: 旧約聖書 申命記32:3-6 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書17:14-20 説教日: 2026年3月15日・受難節第4主日 説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに 今日与えられた箇所は、前回の箇所と深いつながりがあります。冒頭の「一同が群衆のところへ行くと」という言葉がそれを物語っています。主イエスは3人の弟子を連れて山に登られました。その山の上で、主イエスが光り輝く栄光のお姿に変わり、モーセとエリヤが現れたのでした。その山から降りてきた主イエスと3人の弟子たちが麓で待っていた弟子たちのところにきてみると、というのが今日の箇所の出来事です。すでに主イエスと3人の弟子たちが山の上にいる間に、麓では待っていた弟子たちと群衆たちの間で出来事は起こっていました。それはある人の息子が病で苦しんでおり、それを癒してほしいという願いでした。すでに残っていた弟子たちが試みたものの癒すことができませんでした。弟子たちはおそらく、主イエスが早く戻って来てくれないか、という思いでいたことでしょう。この人の
3月16日
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