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『飼い葉桶の主』2022年12月25日・降誕日

説教題: 『飼い葉桶の主』 聖書箇所: ルカによる福音書 2章1~21節 説教日: 2022年12月25日・降誕日 説教: 大石 茉莉 伝道師

■はじめに

降誕日を迎えました。皆さん、クリスマス、おめでとうございます。2022年はどのような年でありましたでしょうか。ここ数年はコロナ感染症との戦いが際限なく続いていると言えましょうし、今年はロシアによるウクライナ侵攻という世界が怒りと悲しみを覚える戦争も起こってしまいました。日本の元首相が銃撃されるということも暗いニュースでありました。喜ばしい出来事ももちろんあったのですが、このような心沈むニュースが多かったように思います。毎年年末に清水寺で今年の漢字が発表されます。今年は「戦」でありました。喜ばしい出来事の中にはワールドカップでの日本の活躍があり、その戦いは日本に勇気や元気、笑顔をあたえてくれたものでありましたが、「戦」はやはり戦争などによる不穏な世相を反映するものであったと思います。私個人としては、大きな変化の年でした。伝道師となり、ここ根津教会に派遣されて生活環境が大きく変わりました。ですから無我夢中で駆け抜けてきた年であります。教会でもお二人の姉妹を天にお送りしました。そして多くの奉仕を担ってくださっていた役員姉妹がお仕事で海外へ赴任されたことも私たち教会にとっては、大きな出来事でありました。旧約聖書コヘレトの言葉3章1節に「何事にも時があり/天の下の出来事はすべて定められた時がある。」とありますように、私たちにとっては思いもかけない変化や出来事も神様の定められた時であり、神様はすべてを時にかなうようにお造りになっておられることを実感いたします。


さて今日読まれましたルカによる福音書2章の1節から21節は、まさに神様の大きなご計画、神様の時が示されております。この箇所はクリスマスの時には必ずと言っていいほどに読まれる聖書箇所であります。聖書を読むだけでもその情景が目に浮かびます。教会学校の子どもたちによるページェントでもよく演じられてきました。

ヨセフとマリア、二人はナザレからベツレヘムへ旅をすることになります。皇帝の命令で住民登録をしなければならなかったからです。そしてその旅の途中、ベツレヘムでマリアは出産の時を迎えます。しかし、宿は一杯で彼らの泊まるところがなく、マリアは馬小屋と思われるところで出産いたします。

さて、場面は変わり、羊飼いが登場します。羊飼いたちのところに天使が現れます。救い主がお生まれになったことが告げられ、彼らは主の知らせてくださったことを見るために、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝かせている乳飲み子を探し当てました。羊飼いたちは天使の言った通りであったことを知り、この幼子のことを人々に告げ知らせます。羊飼いたちは神をあがめ、賛美して帰っていくのです。救い主の誕生である・・・とこれがクリスマスに演じられるページェント、劇のストーリーであります。

さて、そのことをもう少し丁寧に、そしてその出来事の示している神の恵みを分かち合うために、聖書のみ言葉に忠実に見て参りましょう。

今日の御言葉、ルカ2章の1節は「そのころ」と始まります。そのころとはいつなのかといいますと、皇帝アウグストゥスがローマ帝国の皇帝であったときであります。内乱の時代が終わり、アウグストゥスによってローマの支配体制が安定しました。このアウグストゥスはローマ帝国の初代皇帝であります。彼は紀元前44年に暗殺されたユリウス・カエサルの養子、後継者です。そしてオクタヴィアヌスという名前でありました。カエサルの跡を継いで内戦に終止符を打ち、戦いの時代が終わり、平和が訪れました。ローマの元老院は紀元前27年に彼に「アウグストゥス」=「尊敬されるべき者」という意味の称号を贈ったのです。そのアウグストゥスによって「パックス・ロマ―ナ」、「ローマの平和」が確立されたのでした。ローマ帝国の黄金期の始まりとなった皇帝アウグストゥスは、当時「救い主」と呼ばれたのでした。ローマ帝国はその後も勢力を拡大していきますが、やがて衰退期を迎え最終的には滅亡いたしました。アウグストゥスによる平和は永久には続かなかったのです。さて、聖書の記す「そのころ」のローマの平和とは人々にとってどのようなものであったのでしょうか。たしかに、戦いの時代から経済的繁栄の時代へ、暮らしは豊かになり安定したといえましょう。ローマ帝国の絶頂期のはじまりの時代でありました。しかし、そこで暮らす人々の困窮した生活が主イエスの誕生のはじめには記されています。「住民登録をせよ」という勅令は何を意味しているかといいますと、これは税金徴収のためです。人々から税金を取り立て、ローマの支配を固めるためのものでありました。この勅令のために、ヨセフは身重のマリアを連れて、ナザレからベツレヘムまで100キロ以上もの旅をしなければなりませんでした。


■ミカ書の預言の成就

マリアはベツレヘムに着くと子供を産んでいますから、すでに出産間近な臨月であったのでしょう。無謀な旅ともいえますが、マリアが彼らの生活の場ナザレではなく、ベツレヘムで子どもを産むことが神様のご計画でありました。そのことはミカ書5章1節にすでに預言されております。「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」ベツレヘムから救い主が生まれること、そしてそのお方は永遠の昔から神と共におられたのだとミカは告げました。この預言の成就のために、ヨセフとマリアは住民登録という形で遠く旅をすることになったといえるのです。

6節には「ベツレヘムでマリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊るところがなかったからである。」とあります。ここで「月が満ちて」という言葉が使われておりますけれども、この言葉はルカが意図をもって使う言葉であります。私たちも普通に子供の出産において、いわゆる十月十日の時が満ちて、というような言い方をしますが、ルカがこの言葉を使うとき、それは「聖霊によって、聖霊に満たされて」という意味であります。この「聖霊に満たされて」という言葉は1章において数か所みることができます。1:15(ヨハネが)既に母の胎にいるときから「聖霊に満たされて」、1:41(マリアの挨拶を聞いた)エリザベトは「聖霊に満たされて」、1:57月が満ちて、エリザベトは男の子を産んだ、1:67(ザカリアの口がほどけ)父ザカリアは聖霊に満たされ・・・1章だけでもこのように使われています。そして同じルカの手による使徒言行録のペンテコステの出来事2:4でも「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した。」とあります。ですから、「マリアは月が満ちて初めての子を産んだ」というこの箇所は、マリアは聖霊に満たされる時が来て、初めての子を産んだ、と言い換えることができるでしょう。

ヨセフとマリアは決して裕福ではありませんでした。どちらかといえば、貧しい暮らしでありました。住民登録のための長旅の宿の温かい部屋も取ることもできませんでした。しかし、彼らは神のご計画を知らされていました、そして神様による備えを信じていました。ですから彼らはちゃんと子供をくるむ布を用意し、そして飼い葉桶に寝かせたのです。この出来事は神の計画の始まりであることを、その重大さを二人は受け止めていました。


■選ばれた羊飼い

さて、こうしてこの世にお生まれになった主イエス。人目につかないところで、ひっそりと生まれたこの幼子。神様はこの出来事とその意味を知らせるために羊飼いたちをお選びになりました。羊飼いたちは8節にいささか唐突に登場いたします。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」そしてそのような彼らに「主の天使が近づき、主の栄光があたりを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」と9節に記されています。この「恐れ」は今まで見てきた1章において、繰り返し使われてきました。ザカリアに天使が現れたとき、不安になり恐怖の念に襲われました。マリアの前に天使が現れ、主の言葉を告げたときも、マリアは戸惑い、恐れを感じました。洗礼者ヨハネが生まれ、その子の名前を「ヨハネ」とザカリアが書き記し、口がほどけたとき、人々は恐れを感じました。神のみ使いを通してでも、人間が神の御前に立つ、それは罪ある人間にとっては、恐れを感じずにはいられません。そしてザカリアにもマリアにも神からの「恐れるな」という語りかけによって背中を押されてその歩みを進めるのです。羊飼いたちにも天使はこう語りかけました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」ここで「告げる」と訳されている言葉は、「福音を伝える」ということばです。羊飼いに福音が伝えられたのです。神様の選びとはそのように、突然に、何故私が?と思われるような、驚きと戸惑いに満ちているのではないでしょうか。羊飼いたちは夜通し、羊の番をして暮らしていました。ただ黙々と羊を守り、羊に餌をやり、羊が狼などに狙われないよう、番をする。これまでもそのようにして暮らしてきました、これからもそうして羊だけを見て暮らしていくものと思っていました。にもかかわらず、神様はその羊飼いたちをお選びになり、民全体の大きな喜びをお告げになったのです。あなたがたのために救い主がお生まれになったのです、と天使は告げました。その救い主の誕生が「あなたがた」のためであり、あなたがたに与えられた喜びであることのしるしを天使は羊飼いたちに示します。11節、12節にこう書かれております。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」恐れはこうして、大きな喜びへと変わるのです。


■ベツレヘムへ行こう

羊飼いたちは、この言葉を聞いて、この喜びを見に行かなければならないのだとすぐに悟りました。救い主がお生まれになった、主メシアがお生まれになった。神の救いを実現してくださる方、それは民全体が待ち焦がれていたお方なのです。羊飼いたちは申します、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」

「出来事」と一言になっている言葉は、原文ではとても丁寧に書かれています。「主がわたしたちに知らせてくださった、実際の出来事となった、本当のこととなった言葉を見に行こう」であります。つまり、「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つける。」この言葉を確かめに行くのです。そして羊飼いたちは、急いで行くのです。その言葉の通り、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てました。「その光景を見て」と17節にあります。天使によって告げ知らされた言葉は目の前の現実の出来事として彼らは見たのです。乳飲み子はわたしたち民全体の喜びである、と告げられました。神によって与えられた神の子が飼い葉桶の中に眠っている。それを見たときの羊飼いたちの驚き、そしてそれを告げられた者たちも不思議に思いました。私たちが聞いても不思議な話です。しかし、天使によって話された言葉はすべて目の前にありました。羊飼いたちは飼い葉桶の中に眠るこの乳飲み子が自分たちの救い主であることを確かめました。天使の告げた大きな喜びは、まさに自分たちの喜びとなったのです。そして、神をあがめ、神を賛美し、帰っていきました。


■結び

羊飼いの賛美は14節に記されている賛美の言葉です。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」このベツレヘムに生まれた幼子によって私たちは救われる。そのことが2千年前のこの日、に始まったのです。神が私たちと共にいてくださるのです。神を讃えずにはいられません。

それは2千年前に起こった事実であり、そしてそれからやむことなく神の御業は変わることなく続いております。ですから私たちは、今生きるこの現実にどれだけ多くの悲しみや苦しみ、悩みがあろうとも、神の国はすでに始まっているのです。ですから私たちは、絶望しません。今日、この喜びの日に、み使いたちが歌う神への賛美の歌を共に歌い、そして歌い続けたいのです。

ヨハネの黙示録20章3節にはこのように記されています。「神が人と共に住み、人は神の民となる。」主イエスのお誕生、おめでとうございます。そしてありがとうございます。


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