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『霊の実が実るように』  2024年6月2日

説教題: 『霊の実が実るように』 

聖書箇所: 詩編1:1-3

聖書箇所: 新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙5:16−26

説教日: 2024年6月2日・聖霊降臨節第3主日

説教: 大石 茉莉 伝道師

 

はじめに

今日与えられた御言葉は16節から26節ですが、まず全体は3つに分かれていることがお分かりいただけるでしょう。16節から18節、19節から21節、そして22節から26節です。それぞれの内容は最初が肉の欲望の克服、真ん中が肉の業とはどんなものか、そして最後が霊の結ぶ実について、です。まず、19節からのパウロが「肉の業」と表現しているものから見てみたいと思います。そして、その肉の欲望の克服のためには霊に導かれることが大切であるということが述べられる最初に戻り、そして最後の霊の結ぶ実とは、という順番にパウロの語りかけに聞きたいと思います。まず19節以降に「肉の業」として列挙されているものを読むだけでも、これらが良くないものとして示されていることがわかります。つまり、「肉」とは「人間の悪しき性質」であると言えましょう。さらに言えば、神から離れた行いであります。

 

■肉の業

ここには15の悪しき性質、罪が書かれており、4つに分けることができます。最初の3つは性的な罪であります。これらが筆頭に挙げられるのは、何よりも神と人との関係を破壊するものだからでありましょう。そして、このガラテヤ書が書かれた時代、パウロはコリント教会にも手紙を書き送っていますが、そこにも同じように記しています。コリントの信徒への手紙Ⅰ6章9節から10節「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」ガラテヤの地においても、同様の性的乱れがあったことが想像できます。これは決してこの時代に限ったことではないでしょう。残念なことに、現代においても、世界中で性的な犯罪は横行していますし、私たちはほぼ毎日、「わいせつ罪で逮捕」というような言葉をニュースで耳にしているわけです。次に記されている「偶像礼拝、魔術」は宗教的混乱であります。元々、異教の神々を崇めていたガラテヤの人々はキリスト信仰へと導かれてからも、元の生活に舞い戻ってしまっていたのでしょう。初代教会のこの時代、魔術が横行していました。使徒言行録13章4節以下には、キプロス島で総督の信仰の邪魔をする魔術師が聖霊に満たされたパウロに「偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、全ての正義の敵」と言われたことが記されています。ここまでの魔術でないまでも、現代でも様々な魔術的なものはあります。インターネットによる無限な広がりによる情報から、知らず知らずのうちに、それらに縛られ、影響を受け、心が捕えられてしまうこともあるのです。サタンの企みは巧妙です。攻撃的とは限らず、甘い言葉で悪へと誘うものもたくさんあるのです。知らぬ間に正しくないものの虜となる、これらは全て偶像崇拝であり、魔術の計略にはまってしまっていると言えるのです。そして「敵意からねたみ」までの8つは大なり小なり人であれば、持ったことのある感情でしょう。これらは人と人との関係において愛が失われること、愛の欠如によって生じるものです。自分中心な生き方がもたらす罪であります。そして「泥酔、酒宴」お酒は決して禁じられているものではありませんが、理性を失うまでの泥酔など、これまた、「酒に酔った上での犯行か」などとニュースが報じるように、人間の持つ肉の欲のなせる罪であります。その他このたぐいのもの、と記されているように、人間の欲からくる罪は数限りなくあるのです。パウロはガラテヤの人々に向けて、これらの罪から離れよ、罪の泥沼に沈むのではなく、神の相続人として神の愛のうちを歩め、と促しているのです。

 

■霊の導き

そのためには霊の導きに従って歩め、と、今日の始まりの16節でいうわけです。この「肉」と訳されている言葉は、すでに見てきたように、その内容は人間の悪しき性質、罪でありますが、単語の訳としては「欲望」とか「願望」いうのが本来の意味です。そして「禁じられているものを貪る」と意味もあります。本来、健全であるはずの欲求が罪と結びつき、自己中心的な願望となるわけです。金銭欲求は強欲へ、性欲は情欲へ、管理欲求は支配欲へと変質するということです。そのような欲望に支配された状態を、心のどこかではよくないとわかっていても、やめられなかったり、その行き着く先を確かめたいという思いを持ったりするのです。それはなぜか、人間には罪に傾く傾向があるからです。本来、人間は善きものとして造られました。そして神により自由な存在として造られたのでした。しかし、その自由は神との関係の中にあってこその自由でありましたが、それを人間は超えようとしたのです。それがアダムとエバに始まる罪であり、人間はそこから神との正しい関係性を失ってしまったのです。カインはアベルの神への捧げ物が喜ばれたことで、アベルに対して敵意を抱き、ねたみ、殺してしまいました。カインの欲の為せる業です。欲望は人を道に迷わせます。そのようにして人間は神を見失ってしまいました。そのような人間に対して、神の民として、神との関係を守るために、神は律法をお与えになりました。律法は人間に罪を犯させないために、律法を守ることを要求してくるわけです。パウロはユダヤ人として、そのように与えられた律法を守ってきました。神から与えられた聖なる律法をいかに守り、神との関係を保つか、ということに注力し、人にも律法に忠実であれ、と教えてきました。しかし、パウロは律法の限界を知りました。最終的に人間は律法を完全に守ることはできず、そして律法によっては人を罪から救われないということを悟ったのです。救いは律法からではなく、キリストへの信仰によってである。ということを知ったのです。そのキリストは十字架におかかりになり、父なる神のもとへのぼられました。今や、私たちの世で働かれるのは父のもとから出る真理の霊、聖霊であります。その霊に導かれなさい、そうすれば肉の欲望に捉われることはないのだ、とパウロはいうのです。自分の内側に湧き起こる欲望に目を向ける限り、それに終わりはありません。自分の欲望の赴くままに生きるその道はなんと広い事でしょうか。一方、マタイ7:14に「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」とありますように、その道はなんと困難、苦難を伴う事でしょうか。この「細い」という言葉にすでに困難、苦難、迫害といった意味があるのです。それでも、私たちは、神が私自身にどのように働きかけておられるか、それに目を向け、聖霊の働きを祈り願う時、主イエスの言葉が生き生きと力を持ち、その御言葉を味わうことができます。そして変えられていく自分を感じることができ、自分が神支配のもとに置かれた存在であることを確認することができます。聖霊はそのように働くのです。神に委ねるということはその聖霊の働きに従うということであり、それが御心に適う歩みであります。

 

■霊の結ぶ実

それがどのような歩みであるかということが22節以下に記されています。私たちの日本基督教団信仰告白にもこうあります。「聖霊は我らを潔めて、義の果を結ばしめ、その御業を成就したもふ。」聖霊の働きによって私たちの中に起こされるもの、それは愛に始まります。愛の後に記される喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、これら全ての代表が愛です。愛に始まるこれらの実、それはわたしたち自身の努力によってなせるものではありません。信仰告白で示されているように、聖霊によって義の実として実るものであります。わたしたちが自らの思いで作り上げるのではなく、まさに果物の実が少しずつ大きくなっていくように、愛に始まるこれらの神の性質は聖霊によって、私たちの内面に少しずつ成熟していくのです。ヨハネの手紙Ⅰにはこの愛が神から与えられた、ということが記されています。4章8節「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っています。」また、こうも書かれています。4章1節、「どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。」13節、「神はわたしたちに、ご自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。」神の霊が人に宿ってくださることによって、人は神の愛を持つようになるのです。これらの徳目は、パウロ書簡の他の箇所にも示されています。第二コリント6:6やテモテへの手紙Ⅰ、Ⅱなど6箇所あります。いずれにも共通しておりますことは、全てに愛が挙げられていることです。日本語では「愛」は「愛」でありますが、ギリシア語では、その内容、性質において「愛」は三つに分かれています。そして、これらが示している「愛」、それは神の性質としての「愛」であります。ですから、わたしたち人間が持つ感情としての愛ではなく、神から与えられるものとしての愛なのです。さて、これに続く言葉を見ていきたいと思います。二番目には「喜び」と記されています。「喜び」と聞きますと、私たちは第一テサロニケ5:16にあります「いつも喜んでいなさい」というパウロからの勧めを思い出すわけですが、これも辛い時にもなんとか頑張って喜ばなくちゃ、ではなく、神から与えられる愛に満たされる時、溢れる喜びの中に私たちが置かれるという神の愛の力を表しているのです。「平和」この言葉も、私たちにとっては、争いがない穏やかな状態、というような意味で理解しますが、神との正しい関係にあることであり、この神の平和、これがキリスト者の心と考えを守るものなのです。寛容、親切、善意、これらの言葉は隣人との関係性に言えることでありましょう。「寛容」という言葉は、神の忍耐、神の憐れみを表す言葉です。「親切」は倫理的な良識、優しさと言い換えられるでしょうか。「善意」もほぼ同じ意味で理解できるでありましょう。「誠実」と訳されている言葉は、本来、聖書では信仰と訳されることの多い言葉です。この信仰という言葉も観念的で難しい言葉ですが、いわば、神への信頼、キリストへの信頼、と理解したら良いと思うのです。ですから、「誠実」とはもちろん隣人に対しての嘘偽りない姿としての誠実さ、であるのと同時に、それは神への信頼に依拠しているものであると言えるのです。そして「柔和」とは思慮深さを表す言葉です。旧約聖書続編と呼ばれるものにシラ書というものがあります。今わたしたちが使っております聖書、これは1世紀末に聖書の聖典目録を決め、旧約は39巻となりました。続編というのは、紀元前3世紀から紀元1世紀の間に成立したユダヤ教の宗教的文書で、この39巻には含まれなかったけれども歴史記述や、知恵文学など幅広い様式で書かれてい流ものです。その中のシラ書の1章27節にこのような言葉があります。「主を畏れることは知恵であり、教訓である。主は、誠実と柔和を喜ばれる。」まさに、この箇所のことを言い表した御言葉であると言えましょう。そして最後に挙げられているのは「節制」という言葉です。この言葉を聞くと禁欲的なイメージを持つかもしれませんが、自制心という言葉に置き換えた方が分かりやすいように思います。自分の欲に従うのではなく、神の愛のうちにあり、神に従って生きる者は神の望まれていることを問うことができます。そのような時、自分のしたいこと、自分の欲することではなく、神に対して忠実な生き方をすることができる。これが自制心でありましょう。こうしてさまざまな「善きこと」を挙げてきましたが、これら全てが指し示すのは、主イエス・キリストであります。わたしたちキリストを救い主と信じる者たちは、キリストに倣う者であります。キリストの者となった人たちは、前半に示された肉の業、これらを十字架につけた、とパウロはいうのです。

 

■結び

パウロはここで肉の業、霊の実という形で語りました。他、Ⅱコリント5章では古い人、新しい人という言い方もしています。また光と闇という形でも表現しています。すでにこのガラテヤ書3章27節に、「キリストを着ている」という表現がありました。パウロは人間の弱さ、脆さを十分に理解していました。そのような肉と霊との戦い、葛藤が絶えず続いている、それが現実であるということを理解した上で、だからこそ、それゆえに、キリストに倣って歩めるようにと強く願うのです。霊の実が実る生き方、キリストを着た生き方、光の子としての生き方、それは神との交わりの中に生きているということであり、そして聖霊に満たされている、ということです。25節に結論が述べられています。「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」わたしたちは神によって義とされてキリスト者となってから、絶えず聖なる者とされていきます。神学的な用語では聖化と言います。そのわたしたちは、最後にはキリストと同じ姿にされるのです。それはキリストの栄光を表す姿、栄化と言います。すでに聖なる者とされたわたしたちの歩みは聖化し続けており、それは栄化への歩みなのです。自分たちでは何一つ成し遂げることができない歩みでありますが、キリストによって義とされ、聖なる者とされていると知る時、それに応える者として、神の国に属する者として歩ませてくださいと、聖霊の導きを祈るのであります。

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