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『隔ての壁を崩すキリストの平和』 2020年7月19日

【聖書箇所】 エフェソの信徒への手紙2章11−22節

【説教題】 『隔ての壁を崩すキリストの平和』

【説教】 石丸泰樹牧師

一、2章1節に続き、パウロはもう一度「福音を信じる者となる」前と後との根本的な人生の内容の違いについて触れます。「心に留めて」とうのは決して忘れないように記念碑を建てるように、何か記念の物を身に付けるかのように、何としてでも覚えているようにというのです。あなたがた(エフェソのキリスト者)はユダヤ教徒から見れば異邦人と、いうことで同じ聖書の神、イエス・キリストの神を信じているのに、徹底的に排除されています。ユダヤ教徒たちは-「割礼」を体に刻み付けてそれを「記念物」とすることによって「神に選ばれている者」という不動の確信に生きているのです。しかし、今や被造物にすぎない、自分の体を自分たちの手で刻んで流した血(割礼)ではなく-「神のみ子、贖いの主、キリストの血によって贖われ(1:7)、キリストの血によって近い者となった(2:13)」のです。私たちの功績、修行、信心行など、何の力もありません。そうではなく、神様もキリストも知ることなく、人生の究極的な希望もなく生きていた私たちを、神様はキリストと共に生かし、共に復活させ(2:5,6)て下さって、神に近い者として下さったのです。

二、キリストは私たちの平和(2:14)」であります。主イエスのおられた頃、エルサレムの神殿は、その境内は、1–至聖所(祭司以外入れない)、2–イスラエル人の庭(イスラエル人の男性のみが入れる)、3–婦人の庭(イスラエル人の女性と異邦人が入れる)と三段階にわかれていました。三段目は「異邦人の庭」とも言われ、商売人や両替人が大祭司の許可を得て商売をし、賑やかに行き来していました。その「イスラエル人の庭」と「婦人の庭」は石の壁で仕切られ、そこに石碑が二か所に掲げられていました。そこには「異邦人は誰でも、神殿とその構内を囲む柵の内部に侵入することは許されない。侵入して捕らわれた者は、死刑に処せられる」とラテン語とギリシャ語で明記されていました。実際 AD 1871年の発掘によってこれが発見されました。

三、「実に、キリストは私たちの平和であります(14節)。主はその十字架の愛によって、1–敵意という隔ての壁を取り壊し、2–キリストとわたしたちの間の規則と戒律ずくめの律法を廃棄し、3–ご自分において一人の新しい人に造り上げて下さいました」。それは遠くにいる人、近くにいる人、即ち「全人類」が「一つの霊に結ばれて、神の家族に」なるということです。「十字架」は神様と和解させて下さったことの人類の歴史の中心に打ち立てられた永遠の証拠です。「和解」はギリシャ語で「アポカタラッソウ」と言います。「アポ」は「完全に」で「カタラッソウ」は「取り替える、交換する」の意味です。たとえば「移植された臓器が拒否反応を起こさず、完全に新しい体の中で一致し、新しい命に生き続ける」ということです。キリストの十字架の血潮、愛に満ちた健康な血が私たちの全身をめぐるのです。

 主よ、心からの喜びをもって十字架の救いを信じます。アーメン

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