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『平和の絆』 2020年8月16日

【聖書箇所】 エフェソの信徒への手紙4章1−6節

【説教題】 『平和の絆』

【説教】 石丸泰樹牧師

一、先週まで共に読んで参りました1章〜3章の手紙の内容は、信仰の真理と神の目的の中に置かれた教会の役割について、誠に稠密な信仰の論理をもってパウロが語って下さった励ましに満ちたものでした。4章〜6章は、恵みの神様の摂理の中で教会の果たすべき役割について、丁寧な勧めを与えて下さっています。

1章1節で「キリスト・イエスの使徒」と自己紹介したパウロは、3章1節とこの4章1節では「キリスト・イエスの囚人」「主に結ばれて囚人となっているわたし」という自己認識を表明しています。ここからの「勧め」は囚人として、主人である主イエス・キリストから受けた「勧め」それを、一言一句、変更も言い換えも一切なしに、エフェソの教会のすべての兄弟姉妹に伝える「勧め(パラカレオー)」です、と言うのです。ヨハネ福音書でヨハネが14:16.26で「弁護者–ロ語訳では、助けぬし(パラクレートス)」と書いています。そのお方からの勧めですが、この「勧め」は大変な重荷を背負わされることではなく、聖霊の直接の助けだったのです。

二、マタイ28章19、20節に「すべての民、全世界の人々に宣教し、洗礼を授け、命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と主イエスが厳かに命じられたとあります。洗礼を受けた者、すべてが守るべき教会に生きる者の人生訓です。信仰の人生訓です。「謙遜、柔和、寛容、愛、忍耐、平和、一致」以上「七つの勧め」− 十字架上の七言に対応するかのように、教会という「キリストのからだ」に生きることを告白した者の家訓です。新たな律法ではなく、主キリストと共に生きる喜びの道しるべなのです。

 「高ぶらない(謙遜)」は、古代ギリシャでは卑しい、下品な奴隷根性と思われていました。しかし、神の栄光の前に立ち、自分の真の姿に気付いた正直な気持。神の被造物であるという認識です。卑屈にならず、喜びをもって仕える、一に謙遜、二に謙遜、そして三に謙遜に、日々を生きるのです。

 「忍耐–マクロスミア」というギリシャ語は古典ギリシャ語にはありません。ヘレニズム時代になってから(BC300年代以降)現れた言葉です。新共同訳聖書、続編のマカバイ記の一、8章4節に「ローマ人とその軍隊の強さを説明する文章」の中に「忍耐」という語が使われています。「ローマは連合する者、近づこうとする者とは友好関係を結ぶ。しかし逆らって、攻撃してくる者とは策略と忍耐とをもって、どんな遠隔地であっても攻撃し制圧してきた」。また「ローマが後ろ盾となって王としようとする者は王となった。彼等が失脚させようとする者は失脚した。…だが、こうしたことにもかかわらず、ローマ人のうちだれ一人として栄誉を願って冠をつけたり、紫の衣を身につけたりする者はいない。元老員を設置し、自分たちの支配者を毎年一人、信任し、すべての者がこの一人に服従する。そこには妬みもなければ、うらやみもない」。

 紀元前の時代、シリアのセレウコス王朝との戦いに苦しんでいたユダヤの歴史家の目にはローマという元老員制度を持つ国の姿は以上のようなものだったのです。ローマ法の下での秩序に賛同する民族、部族を増やし、忍耐をもって「パックス・ロマーナ」ローマの平和を広げていったのです。

 人間の制度には限界がありますが、パウロは主キリストにある平和と一致を、共通の価値観をここに見ていたに違いありません。

 主よ、あなたが示された愛による一致のもとに、私たちを導き入れて下さい。アーメン


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