『約束を信じて賛美する』2025年12月21日
- NEDU Church
- 24 時間前
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説教題: 『約束を信じて賛美する』
聖書箇所: 旧約聖書 サムエル記上2:1-11
聖書箇所: 新約聖書 ルカによる福音書1:39-56
説教日: 2025年12月21日・待降節第4主日
説教: 大石 茉莉 牧師
■はじめに
主イエスの御降誕おめでとうございます。今日はクリスマスを子どもたち、そのご家族と合同礼拝としてお捧げすることができました。感謝いたします。今日与えられた旧約聖書のサムエル記上2章1-11節です。サムエル記という名前の通り、サムエルが主人公です。そしてこのサムエル記の1-2章にそのサムエルの誕生のことが記されております。サムエルは1章28節に、「この子は生涯、主にゆだねられた者です。」とありますように、その生まれからすでに神に捧げられた子として生まれてきました。そのことを願い、そして約束したのが母ハンナです。サムエルの父はエルカナ、イスラエル十二部族の一つエフライム族の者でした。そしてエフライムの地にはシロという礼拝をお捧げする神殿がありました。住んでいたラマタイム・ツォフィムという町から毎年シロに上り、礼拝していたといいます。彼には二人の妻がいて、ペニナとハンナでした。ペニナには子どもがいましたが、ハンナには子どもがなく、そのことでハンナは深く苦しみ、悲しんでいました。そしてハンナは神に祈り、誓いを立てます。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」そのハンナの祈りが聞き届けられ、与えられたのがサムエルです。彼女が求めたのは、神の祝福のしるしである子どもが与えられること、それだけでありました。そして与えられたサムエルが乳離れするまで育て、そして約束した通り、祭司エリの元へ連れて行き、主にサムエルを捧げたのです。
■成長したサムエル
さて、サムエルは祭司エリの元で成長いたします。そして彼はどうなっていくのかと申しますと、主に捧げられた者として神の御心を実現していくように用いられていきます。サムエルの時代の前、つまり士師の時代、ということですが、旧約聖書士師記の最後にはこう書かれています。21章25節「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」国全体を統治する王がいなかったイスラエルに王が建てられていく、その経緯、イスラエルが王国となっていく様子が語られているのがサムエル記です。サムエルがその中心人物であるということは言うまでもありません。主がサムエルを用いて、イスラエルの王、サウルに油を注ぎ、王をお立てになったのです。今日、この主イエスの御降誕の祝いのメッセージにあたり、与えられた聖書箇所サムエル記とルカ1章では3人の女性と3人の男性が登場しています。ハンナとサムエル、エリサベトとヨハネ、そしてマリアと主イエスです。いずれの男性、サムエル、ヨハネ、そして主イエスは神の御業を表すために神が選び、神がその働きを祝福した人たちです。神のご計画の成就を体現した人です。そしてその途方もなく大きな御業をなす者を人として産み出すために神は3人の女性に目を留められたのです。今お読みいただいたサムエル記にはハンナの祈りがありました。サムエルを与えられたハンナが神に感謝を捧げています。ハンナの祈りの特徴は10節後半で、「主は地の果てまで裁きを及ぼし/王に力を与え/油注がれた者の角を高く上げられる。」というところです。主によって王が立てられることが語られています。サムエルが主のご命令によってサウルに、そしてダビデに油を注ぎ、イスラエルの王として立てました。そのことがハンナの祈りで先取りされているのです。ハンナのこの祈り、喜びの歌は単なる出産の喜びではありません。「弱い者を塵の中から立ち上がらせ/貧しい者を芥の中から高く上げ」と2章8節にありますように、弱き者を顧みてくださる神を讃えるもの。弱く、見捨てられた者に目を留めてくださり、その人に寄り添い、その人の傍らに立ってくださる神の御業を讃えているのです。
■約束の成就
そして時は流れ、新約の時代です。ガリラヤの小さな町ナザレに、若く、無名の娘、マリアがいます。そして彼女に天使が驚くべき事柄を告げました。その時、処女マリアは戸惑いながらも、こう応えました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」エリサベトを訪ね、エリサベトから祝福を受けて、マリアはこう歌います。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。」ハンナが神を讃えて祈り、歌ったように、マリアも同じように神を讃えます。ハンナが歌い、待ち望んだ、「聖なる方、油注がれた者、真の王」の誕生の物語が始まりました。神はこうして再び、社会の片隅にいる一人の女性を通して、救いの歴史を動かしたのです。マリアが続く51節以下で「主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。」と歌うように、神は人の力や名誉などによってではなく、祈る者、主を求める者を通して、ご自身の栄光を表されるのです。
■結び
「主は高ぶる者を打ち散らし、低き者を高くされる。」武力や革命によらず、神は静かに、しかし、確実に世界を救いへと導いておられます。ハンナもマリアもただ神の約束を信じて、賛美しました。アドヴェントはそのようなまだ見ぬ約束を信じて賛美する時でありましたし、そしてクリスマスを迎えてこの日、この世に来てくださった、主イエスという救い主の御降誕を喜びつつ、主が再び来てくださるという神の約束を信じて賛美する私たちの信仰が養われるときでもあります。神の働きはわたしたちの目に見えずとも、今のこの時も着実に進められ、静かにこの世界を変えておられるのです。小さな祈りと大きな賛美を持って、主イエス・キリストが再び来られることを心から待ち望みたいと祈り願います。

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