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『注がれた愛』 2023年8月27日

説教題: 『注がれた愛』 聖書箇所: マルコによる福音書 14章1~9節 説教日: 2023年8月27日・聖霊降臨節第十四主日 説教: 大石 茉莉 伝道師

■はじめに

さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。今日の御言葉はそのように始まっています。主イエスの十字架の日が刻一刻と近づいてきております。その最後の1週間のことがこのマルコによる福音書では11章から記されています。主イエスがエルサレムに入城されたことが11章の始まりに書かれておりました。それが日曜日のことです。そして主イエスが神殿で宮清めをなさったのが月曜日、宮清めに続くいくつかの問答をなさったのが火曜日、終末の徴について語られたのも同じ火曜日であります。そしてその次の日、つまり水曜日が今日語られている過越祭と除酵祭の二日前であります。この後は、最後の晩餐、ゲッセマネで祈られたのが木曜日、そして金曜日には十字架にお架かりになったということであります。以前にもお話しいたしましたけれども、ユダヤの暦では日が沈むと新しい日になります。ですからユダヤにおいては明日の夕方に日が沈みましたら、もうそれは祭りの日ということになるのです。


■過越祭・除酵祭

併せて過越祭と除酵祭のことについても触れておかなければなりません。過越祭とは出エジプト記12章以下に記されております出エジプトの出来事に由来しております。この祭りはエジプトで奴隷とされていたイスラエルの民を神が救い出して下さった事を記念するものです。エジプトの王ファラオに神は10の災いを下されました。その最後の災いがエジプトの全ての初子を皆殺しにするというものでありました。王ファラオの子から家畜の初子までです。この恐ろしい災いを下された時、ファラオはイスラエルの民の解放を認めたのでした。その時、イスラエルの民の家では、小羊が犠牲として捧げられました。そして主が言われた通り、その血を家の鴨居と柱に塗ってあった家を神は滅ぼすことなく、通り過ぎました。つまり過越してくださり、何の災いも下りませんでした。イスラエルの人々はこの小羊の犠牲の血によって災いから守られ、エジプトからの解放を与えられたのでした。出エジプト記12章26節以下に、小羊の血を家の鴨居と柱に塗り、その肉を食す、という祭りをあなたと子孫の定めとして永遠に守らなければならない、この儀式を守らねばならない、子供たちがこの儀式の意味を尋ねたら、「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエル人の人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである。」と言いなさいと記されています。出エジプトの時代から、主イエスの時代、そして現在に至るまで、イスラエルの民は過越祭の意味を語り継ぎ、守ってきたのです。そして除酵祭とはこの過越しの祭りに続いて7日間行われるものです。イスラエルの人々がエジプトを出る時、およそ60万人、羊、牛などもおびただしい数の大移動でありました。その時、エジプト人はイスラエル人を急き立てて国から去らせました。そうしないと自分たちも死んでしまうと思ったからです。イスラエルの民はまだ酵母の入っていないパンの練り粉を鉢ごと外套にくるみ、肩に担いで急いでエジプトを脱出したのです。そのことを記念して除酵祭においては、酵母の取り除かれたパンを食すのです。この過越祭も除酵祭も、どちらも神の救いの出来事を記念する祭りです。神の恵みに感謝し、神を讃える祭りの中で、主イエスは死を迎えました。過越祭の中で捧げられる犠牲の小羊として、主イエスが人々を救うために捧げられ、その血を流されたのであります。今日の2節で、祭司長や律法学者たちは、この祭りの間は民衆が騒ぐといけないから、主イエスを殺すのはやめておこう、と考えていたと書かれていますが、彼らのそのような計画にもかかわらず、主イエスが祭りのなかで十字架にお架かりになることになったというのは、神のご計画なのです。神様は彼らのそのような思いを用い、また、この後に登場いたしますユダを用いて、過越しの祭りの中で行われることで、神の救いのご計画を実現されました。小羊どころではなく、神の独り子であられる主イエスが私たちのための過越の小羊となってくださったということを示しているのです。


■「計略」をはかってでも

「祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕えて殺そうと考えていた。」とあります。ここまで主イエスに敵対する存在として、何度も登場し、そして11章18節では主イエスへの殺意が描かれておりましたが、「どのようにして殺そうかと謀った」ところから、「なんとか計略をはかって」殺そうと考えるようになっていたのです。計略と訳されている言葉は、「詐欺、策略」を意味する言葉であり、今までも殺害方法を探し続けてきたが、ここにきて、嘘や偽りを含めて、どのような手段を使ってでも逮捕し死刑にしようと考えるに至ったということがここには示されています。律法学者、彼らは誰よりも律法を大切にしておりました。律法を守り、律法によって生き、律法の正しさを人々に導く、それが彼らの役割でありました。モーセによって与えられた十戒、そこには「殺してはならない」とはっきり記されております。彼らにとって、モーセの十戒は生きていくうえで絶対的なものであったはずです。しかしながら、彼らはこの戒めをまるで忘れたかのように、いえ、まるでなかったかのように、その戒めを曲げてでも、主イエスを殺そうと考えていたのです。人間の持つ罪の現実の姿が記されております。罪深い、罪に囚われた姿がここには描かれています。


■ベタニアの一人の女性

そのように律法学者たちが主イエス殺害の計略を練っております時、主イエスはどうされていたか、といいますと、ベタニアにおられました。そしてナルドの香油を注がれるという美しい出来事があった事が記されています。このベタニアは11章のはじめにオリーブ山のふもとにある村であり、エルサレムに入られてからも夕方になると、ベタニアに出ていかれた、と記されておりますから、夜はベタニアでお泊りになっていたことがわかります。また、並行箇所ヨハネによる福音書では、このベタニアは主イエスがよみがえらせたラザロがおり、そしてその姉妹であるマルタとマリアがおり、この香油を注いだのはマリアであると記しています。しかし、マルコは単に一人の女としか記していません。このマルコ福音書において、マルコが強調したかったことは、主イエスが多くの人々と共に、名前のない群衆と共に、罪人と共に生きる営みを貫いたということでありました。この香油を注ぐ一人の女は特別のだれかではなく、ひたすらに主イエスへ愛を注ぐ無名の女がふさわしいとマルコは考えたのでありましょう。場所も「重い皮膚病の人シモンの家」と記しています。重い皮膚病と言う表現はこのマルコ福音書の1章40節以下で癒された人があった事を思い起こさせます。主イエスは常に差別された人と共に生きてきました。ここで皮膚病を患っている人、もしくはそれを癒された人であったとしても、その人の家で食事をするという描写は主イエスが律法を超えた世界を実践し続けているということを示しているのです。


■香油を注ぐ

マルコはそのようにこの香油を注いだ女性のことは、「一人の女」としか記していません、そしてその行動も、来て、壊して、注いだ、とだけ記しています。理由も、彼女の気持ちも書かれていません。しかし、注がれた香油のことは詳しく記しています。純粋で非常に高価なナルドの香油。それは石膏の壷に入っていました。ナルドの香油というのは、インドや東アジアでとれるオミナエシ科の植物、甘松香の根から採れる香料をオリーブ油でのばしたものだそうです。とても良い香りがする大変高価なものでありました。今日の箇所にも三百デナリオン以上の価値があったと書かれております。当時の労働者の一日の賃金が一デナリオンであったと言われておりますから、おおよそ年収に相当する価値のものということになります。当時、女性の花嫁道具として代々受け継いできたとも言われます。いずれにしても、最も大切にしていたものであったに違いありません。そんな大切なものを持って食事をしておられる主イエスのもとに彼女はやってきました。食事をしている主イエスのところに来たと思ったら、その石膏の壷を壊して、壷の中の香油をすべて主イエスの頭から注いだのでありました。数滴注いだというのではなく、壷も壊し、香油を残しておいて他のことに使おうとも全く思わない、すべて主イエスに注いだのでありました。この香油を頭に注ぐという行為は、王が即位するときの儀式です。ですから、彼女は主イエスを王として、また救い主として、受け止め、この方にお仕えするために、自分のなしうる最高のことをしたのです。


■できるかぎりのこと

主イエスも8節で女性のこの行為を「この人はできるかぎりのことをした」と言っておられます。しかし、弟子たちと思われる周りにいた者は憤慨して、彼女の行為を「無駄遣い」であると厳しく咎めました。これだけあれば貧しい人々に施すことができたのに、とも言うのです。この発言は彼らの憤りの描写であると同時に、彼らが何を考えていたかを示しています。彼らは、主イエスの頭に高価な香油を注ぐことを無駄遣いにすぎないと考えていたことがわかります。主イエスにお捧げするのに、もったいないと思ったということです。主イエスへの捧げものとしてもったいないと思うものなどありますでしょうか。主イエスは神の子であられながら、私たちと同じ身分になってくださり、そしてあろうことか、私たちのために命を惜しまずに投げ出して下さったのです。これこそもったいないことではないでしょうか。ここでも、このように主イエスの最後のときまで、弟子たちは主イエスが来て下さったその真の姿を理解していなかったのです。

ここで主イエスは、彼女の行為を「わたしに対する埋葬の準備をしてくれた」と言っておられますが、実際にそのような思いで彼女が香油を注いだと考えることは無理があるように思います。彼女は主イエスがもうすぐ殺されてしまうと知っていたとは思えませんし、弟子たちですらそう思っていなかったのです。そうではなく、彼女は心から主イエスを愛し、仕えたいと思っており、そのような献身のしるしとして自分にできうる最高のこと、持てるものの中で一番大切なものを捧げたのであります。


■弟子たちの価値

弟子たちは香油、そしてそれが主イエスに注がれたこの出来事を300デナリオンとお金に換算いたしました。たしかに現実的な見方をすれば、それはそのような金銭的な価値を持つものであり、そして貧しい人々に施すことはできたでありましょう。6章の「五千人に食べ物を与える」のところでは五千人で200デナリオン必要とありましたから、300デナリオンあれば、計算上は7500人もの人々に食事を与えることができるということになります。しかし、彼らの「貧しい人々に施すことができたのに」という発言は、心からそう思っていたわけではないのです。本当にそうしようと思っていたわけではないのです。もし、仮に彼らが300デナリオンもっていたとしても、彼らはそれを使って貧しい人々に施すということはしなかったでしょう。それは主イエスが言われた「なぜ、この人を困らせるのか」と言う言葉からもわかります。

さらに主イエスは言われます。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。」この言葉の意味は、「良いこと」ができるかできないかではなく、肝心なのは、望むか望まないか、ということなのです。

主イエスに仕えることと、隣人に仕えることは対立することではありません。神に対して心からお仕えすること、そこから隣人に仕え、他者と共に生きる道が開かれていくのです。


■結び

今日の聖書箇所の最後で主イエスは「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」と言われました。その少し前では「わたしはいつも一緒にいるわけではない。」と十字架の受難と死を予期した言葉があります。人として、肉体を持った主イエスが去っていくことを語っておられるのです。その上で、この世界中どこでも、と言う言葉は未来、今の私たち現在にまで関わる言葉であり、この女性の精一杯の奉仕が主なる神様の御業の中に覚えられ、加えられ、福音の一部となったということなのです。神への奉仕が、人間的な価値判断によってではなく、心からの思いによって行われる時、それはどんなものでも、主イエスから見て「良いこと」であり、神のご計画に加えられ、神は必ず用いてくださるのです。ナルドの香油を注いだこの女性の行為、主イエスは「良いこと」をしてくれた、と言われました。この「良いこと」という言葉は、「美しいこと」と訳せる言葉であります。心からの献身のしるしとしてささげられたものは、それがどれだけ小さなものであったとしても、美しいのであります。

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