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『新たな始まりのとき』2026年5月24日

  • 2 分前
  • 読了時間: 9分

説教題: 『新たな始まりのとき』

聖書箇所: 旧約聖書 ヨシュア記1:1-9

聖書箇所: 新約聖書 マルコによる福音書4:26-34

説教日: 2026年5月24日・聖霊降臨日 

説教: 大石 茉莉 牧師


はじめに

聖霊降臨日、ペンテコステを迎えました。主イエスのご復活から50日目に弟子たちに聖霊が降った出来事を記念する日です。ルカによる福音書24章には主イエスが復活されて、エマオ途上で弟子たちと共に歩かれ、そして他の弟子たちのところにも現れて不思議に思う弟子たちの前で焼いた魚を召し上がったことが記されています。そして主イエスは彼らに言われました。24章46節以下です。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。

わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」復活から40日、主イエスは弟子たちに神の国について教え、そののち彼らを祝福し、そして天の父のもとに上げられました。そして10日後、五旬節の日、聖霊が降りました。

 

■歩みの始まり

主イエスが弟子たちに約束されたもの、それは聖霊でありました。主イエスと共に生活し、主イエスを模範として歩んできた弟子たちは、主イエスが天の父のもとにお帰りになってしまったのち、はてさて、どうしたものか、と思っていました。そして聖霊が与えられた。それによって弟子たちが得たのは、主イエスが聖霊として共にいてくださるという平安、喜び、力でありました。彼らは聖霊が彼らの助け主としてとどまっていてくださることを確信したのです。使徒言行録1章8節「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」という主イエスのお言葉に従って、さまざまな言語によって福音を宣べ伝え、人々は主イエスにあって一つとなりました。そうして教会が誕生していきました、神の家族が一つに結ばれていったのが教会であるということです。ペンテコステの出来事は、教会が聖霊という内なる力を得て、その導きに従って歩み始めた出発点です。

 

■成長する種

今日このペンテコステ礼拝に与えられた聖書日課はマルコによる福音書4章26節から34節、そしてヨシュア記1章1節から9節です。今、季節は初夏を迎え、周囲の緑が美しい季節になっています。教会にも様々な植物が与えられ、少し前まではモッコウバラが咲き誇り、そのあとは中庭のブラッシュツリーの鮮やかな赤の花を見ることができました。そして今は紫陽花の季節になってきました。このように毎年、ある時期になりますといつの間にか枝が伸び始め、そしてその先にある日、蕾がしっかりと育っていることに気づきます。そしてどんどん伸びていきます。あっという間に咲き始め、どこにこんなに蕾があったのだろうというぐらいにびっしりと花が開きます。モッコウバラは3週間ほどは行く人々を楽しませてくれ、その後は花が終わり、そして今は伸びた枝を剪定する時期です。27節に「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」とありますように、本当にじっと見ていたら枝の成長が見えるのではないかと思うほどに成長します。しかし、毎年、この時期に確実に芽を出して、花を咲かせ、そして翌年のための枝を張り、そしてしばしの休眠に入ります。そのサイクルはどうしてそうなるのか、わたしたちにはわかりません。私たちはそれを「ひとりでに」と表現いたしますけれども、それは神の働きなのです。この「ひとりでに」という言葉は、ギリシア語では「アウトマテー」という言葉です。オートマティックという言葉はここから生まれています。私たち人間の手によらずに機械が自動的に作り上げていくことをオートマティックと言いますけれども、作物が花を咲かせ、実を結ぶように作られた神がおられるということが語られているのです。主イエスは神の国がこの地に広がっていくさまはまさにそうであると語られました。ペンテコステにおいて、聖霊が降り、そして弟子たちによって福音が広まっていきますが、弟子たちはこうやって広めようというような考えや戦略があったわけではありませんでした。むしろ、どうしたらよいのか皆目見当がつかないままに、待っていたのです。そのような弟子たちに神の力が与えられました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」主イエスのお言葉通りに地の果てに至るまで、その福音が知らされることになったのです。神の国、その働きは私たちの目には見えないところで、しかし、確実に進んでいる。目に見えないところで、という表現も実は少し異なります。今、私たちがまさに生きているその世界で、私たちの人生そのものにおいて神の御支配は実現しようとしています。そのことがここに示されています。

 

■神の国の成長

そしてまた、神の国の始まりは、からし種のように小さなものであったことが語られました。こんな小さな種がと思われるようなものであっても、成長するとどんな野菜よりも大きくなるということが語られています。からし種は最も小さい粒、種です。それにもかかわらず、成長すると5メートルほどにまで成長すると言います。そしてその葉陰には鳥が巣を作れるほどのしっかりした枝を張るようになるというのです。1ミリにも満たない極小の種がそんなに大きくなると想像できるでしょうか。私たちも何か種を蒔くことがありますけれども、そこそこの大きさがあれば、一粒一粒を大事にして種まきをすることでしょうが、1ミリほどのからし種を蒔くとなったら、おそらく数粒きちんと蒔けなくとも、なくしてしまったとしても、まあいいや、と思うのではないでしょうか。そんなふうにぞんざいに扱ってしまうことがあると思います。しかし、その小さな一粒が、やがて大きな木になると言います。主イエスから聖霊を待つように言われた弟子たちも最初は小さな群れでした。そしてその働きも小さなものだったのです。しかし、聖霊がくだり、そこから彼らの宣教が始まりました。「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という主イエスの宣言通り、今や、この地の果ての私たちの地にまでも主イエスが救い主であられるということが響き渡っています。それは聖霊の働きによらずして何でありましょうか。確かに日本のキリスト教人口はわずか1%です。プロテスタント60万人、カトリック50万人、というのが最近の統計でしょうか、合わせても110万人程度。日本基督教団の教会数は1600、教師3000人、信徒15万人です。確かに素晴らしい発展を遂げているとは言い難い状況ではありますけれども、それでも止まっている状態ではないのです。3歩進んで2歩下がっているかもしれないけれども、着実に神の国は前進しています。その歩みに私たちも加えられています、共に歩んでいるのです。

私たちが神の国の種蒔きを託されています。たとえ私たちの働きが小さくとも、神が用いてくださるという確信とその働きの喜び・希望が与えられている以上、私たちは前に進むことができます。そのような私たちに力を与えてくれるのが、今日の旧約聖書ヨシュア記にあるヨシュアに与えられた言葉です。

 

■モーセの死の次に

ヨシュア記1章は「モーセの死後に」という言葉で始まっています。キリスト教に親しんでおられない方でも、モーセは知っているというぐらい、歴史において有名な、そして偉大な指導者です。ヨシュアは神からイスラエルの民を率いることを託されたものの、不安に慄いていました。まるで主イエスの昇天後、どうしたらよいかわからなかった弟子たちと同じです。主イエスが弟子たちに託されたように、モーセがヨシュアに託した、この出来事は単なる指導者の交代ではなく、神の救いの歴史の転換点なのです。次の時代への入り口です。そこには期待がある反面、その先頭に立って踏み入れる者の足を怯ませます。しかし、神はそのようにたちすくむヨシュアに語られました。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」この言葉は単なるヨシュアへの励ましの言葉ではありません。これはヨシュアに与えられた使命への保証の言葉なのです。「強く、雄々しくあれ」この言葉は今日与えられました9節までに3回繰り返されています。だからと言って、私たちにもっと強くなりなさいということではありません。私たちの今年度の年間標語は「神の武具を身に着ける」であり、それは私たちが頑張るということではなくて、「神によって強められなさい」ということであると申し上げました。ここでも「強く、雄々しくあれ」というこの言葉は、自分の強さではなく、神が共にいてくださる、神が約束してくださる、神が力を与えてくださるという神に根拠があることです。神の約束に信頼することが言われているのです。ペンテコステの弟子たちも決して勇敢な者たちではありませんでした。主イエスが捕えられた時、恐れをなして逃げ去った者たちだったのです。そのような彼らが立ち上がり、宣教の働きへと遣わされていく。それが聖霊の働きなのです。ヨシュアに命じられたことは、私の道から右にも左にもそれてはならないこと。そして御言葉を口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、それに従うことでありました。ペンテコステの出来事から始まった教会も主の道を尋ね求めることを基本とし、そして御言葉によって生きてきました。聖霊は御言葉を通して、御言葉に生きるための力として働き続けてくださるのです。

 

■結び

今日、ペンテコステのこの日、私たちの群れに一人の青年が加えられます。幼い頃からキリスト教が身近にあっても、彼自身と共に歩んでくださる主イエスのお姿を見ることはなかなかできなかったと言います。しかし、聖霊に導かれ、聖霊が彼に語りかけてくださり、御言葉を通して主イエスに従い、主イエスの弟子として、この教会の家族として歩むことを確かな者へと養ってくださいました。1コリント12:3「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」とある通り、まさにその言葉のとおりに信仰が与えられ、信仰告白へと導かれ、洗礼を受けるという道のりを聖霊が支えてくださいました。心から共に喜びたいと思います。そして主イエスをかしらとするこの教会の家族として共に歩むことができることも大いに喜びたいと思います。ヨシュアに、弟子たちに語られた、「強く、雄々しくあれ」この言葉を彼にも送りたいと思います。そして私たちそれぞれにも語られている言葉であることを改めて覚え、神に信頼し、神の力をいただき、神のご栄光を表すために、聖霊の働きを私たち一人ひとりが求め続けたいと思います。新たなイスラエルの始まりは、新たな世界宣教の始まりになりました。そして今日、新たな信仰者の歩みが始まります。共に心から祝い、共に神の栄光を表し、共に神の国の前進のために用いられたいと心から祈り願います。

 
 
 

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