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『教会を整える』 2020年5月24日

【聖書箇所】 使徒言行録 1章12—26節

【説教題】『教会を整える』

【説教】 石丸泰樹牧師


一、主イエスのご昇天から五旬祭(ぺンテコステ、今年は5月31日)までの10日間の 教会の歩みがルカの手によって記録されています。イギリスのバークレーという優れた聖書学者が「使徒言行録」は「教会についての知識という点で最重要な文書だ」と言っています。この12節の区切りから、教会の具体的な歩みについて記録して下さっています。「オリーブ畑」と呼ばれる山(海抜 826M、ゲッセマネの園はこの麓にあった由)主はこの山から昇天されました。

 創世記 8章11節に「鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った」。ノアは主のために祭壇を築き、神の祝福を頂いて (8:20、9:1)新たな歩みを踏み出します。主なる神はいつも絶望的な状況から私たちを立ち上がらせて下さいます。悔い改め、新たな心でみ言葉に耳を傾けましょう。自分に頼り短絡的なアイディアで動き出すのではなく、主に信頼し、待つことができる教会でありたいものです。

 「兄弟たちと心を合わせ、熱心にいのり (1:14)」教会が進むべき道を見いだす。途中で変節しない宣教の業を貫いて行くのです。主のご生涯の最後の夜に、晩餐の食卓を司って下さった主と共に過ごしたあの二階の部屋こそ (1:13、ルカ22:12) 私たちが集い、また押し出されて行く教会なのです。主の命に生かされる教会、主のからだなる、目に見える教会です。エルサレムから始まり、ヨーロッパに伝わり、ついに極東の地日本に根を下ろして実を結んでいる。教会の長い歴史の中で、「多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて・・参加すべき競走を耐え忍んで走りぬこうではないか ( ヘブル人への手紙12:1 口語訳)


二、体なる教会の頭である『主は、時間、空間のはるか彼方におられる神様ではなく、「わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである(ヨハネ15:11)」の聖句のように、顔と顔を合わせて、今日ここでお会いする笑顔と喜びの交わりの中に、教会の中に共にいて下さる主です』「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ (ヨハネ15:16)」。天のみ国にある人格的交わりの写しとして、今ここに、教会に生きる私たちは、世の愛する人々にこのことを証ししましょう。


三、言行録1:15—26節では、教会の体制を整える規準がペトロによって熱く語られます。ペトロの語りかけた人々は120名ほどでした。この人々に「兄弟たち」とよびかけます。主イエスは復活の朝、マグダラのマリアに「わたしの兄弟たちの所へ行って言いなさい (ヨハネ20:17)」とはっきり言っておられます。主イエスの父なる神を私たちも「父と呼び奉る」事が赦されているそういう交わりが始まっているのです。この後、「兄弟」と言う呼び掛けは 30回以上記されています。皆が兄弟、という前提に立って教会の体制を整えるのです。男も女も、主イエスの親族も、社会的身分の高い人も奴隷である人も(ルカ8:1-3)です。「ユダも仲間の一人であり、同じ任務についていた」とペトロは言います。 旧約のミカ書 7:18「あなたのような神がほかにあろうか 咎を除き、罪を赦される神が」エゼキエル書18:23「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。エゼキエル18:32「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」[続編]知恵の書1:12「道を踏み外して死を招くな。自分たちの手の業で滅びを引き寄せるな。神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった。」

 「イエスは救い主」と信じることは、主のご生涯を全体として信じるということなのです。主イエスの愛の奇跡を見た、また自分の身に経験した、また「霊能者」として自分に恵みを下さって、大きな問題を解決して下さったなど、だけではなく、このお方は「すべての人が自分では贖い得ない深い、大きな罪を十字架の死とご復活によって救いとって下さった方です」と感謝と讃美の歌をもって堅く信じることです。全世界の教会が、過去、未来の教会と共に、この同じ「使徒信条」を自分の信仰として告白・宣言します。それが教会の信仰です。ぺトロは「主イエスが私たちと共に生活されていた間、つまりヨハネの洗礼の時から〜天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が〜証人になるべきです」(l:21—23) と使徒としての条件を宣言します。この条件を満たしている人は皆候補者です。それ以上の判断は主にゆだねます。

 ユストとマティアの二人が選ばれ、使徒たちは祈ってくじを引きました。二人共、主がバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時以来、他の弟子たちと共に主に従って良い奉仕を続けてきました。ここで選ばれなくても、二人の人生は変わらなかったことでしょう。 マティアの使徒としての活動については、最後に殉教の死を遂げたということ以外何も知られていません。


四、最後にイスカリオテのユダについてですが、彼についても聖書に記されている内容以外は知られていません。しかしバークレーは当時の状況から幾つかの判断ができると指摘しています。

I .彼は“カリオテ”の出身で、他のガリラヤ出身の仲間との間で、孤独であった。Ⅱ.ナザレのイエスの活動に未来は無いと感じ、巻き込まれないで逃れるために、 引き渡す約束をした(銀貨30は当時の 1ヶ月分の日当でした。彼の活動或いは、生活費には足りない) Ⅲ.反ローマ国粋党の一員(シカリオス)として潜入したが、主イエスの活動に失望した。Ⅳ.イエスを超能力者と信じていたが、彼の巨大な力を見たい。追い詰めれば、その力を発揮するのではないかと期待した。ユダ自身は自ら手を下してイエスを殺害しようとは考えていなかったようです。

 主よ ユダと変わらぬ共に罪深い私たちを憐れんで下さい。自分中心の希望、願いから一度離れ、あなたと、兄弟姉妹との交わりの豊かさに気付かせて下さい。


【主の祈り】

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