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『天地創造の前に』 2020年6月14日

【聖書箇所】 エフェソの信徒への手紙1章3-6節 【説教題】 『天地創造の前に』 【説教】 石丸泰樹牧師 一、手紙の挨拶(1章1—2節)に続いて、パウロはエフェソの教会の信仰の友人たちに「神への賛美」を呼び掛けます。コリントⅡ1章3節でも「神がほめたたえられますように」という句を最初にパウロは書きます。ペトロも同じです(ペトロIの手紙1章3節)。それぞれの手紙を受け取った人々に呼び掛けます。そのためにこの手紙を書いているのです。神様がどんなに自分たちを祝福して下さったか、それは天のあらゆる霊的な祝福を総動員して成し遂げて下さったことなので、どんなに自分たちが神様を褒め称えても足りないことなのだという事なのです。  この3節から14節までの文は区切りのない文章になっています。パウロが一気に書きました。そこに「神を称える」という句が四か所も記されています。「神様にもっと心をこめてお願いしてみましょう」とか、「神様にもっと喜ばれるように、良い業に励みましょう」などのような「人間の方から神様に働きかける、喜んで頂く」というようなことを提案しているのではなく、「父、子、聖霊でいらっしゃる、三位一体の神様が既に私たちのために完璧になし遂げて下さったこの恵みの救いの業について、気付いてくれるよう」訴えているのです。 二、一体それはどんなことなのでしょうか。神様は「天地創造」の前に、その目的を決めておられた、ということなのです。私たちの今、生命を受けて生きているこの世界が存在しているのは、偶然何かのきっかけや、万に一つの好条件が重なっての結果だというのではなく「すべての物をお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのか(エフェソ3:9)」それは「イエス・キリストによって私たちのすべてを、神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」 三、私たちは、今この全宇宙が神様の愛の秩序の下に造られ、一分の狂いもなく保たれ守られていることを知ることができるようになりました。神の格別な愛により、人は人格を持つ者、自由意思を付与されている者、自発的に喜びをもって人を愛し人に仕え、自分に託された才能や、知識や健康や財産をもって共に生きる喜びを分かち合えるものであることに気付かされています。しかし私たちは完全な者ではありません。良かれと思ってやったことが、愛する人の悲しみとなり、自分が責任を持つべき人を深く傷つけることになる。神様の前に進み出るに相応しくない、傷物の自分の姿に気付きました。古代のイスラエルでは神殿で捧げられる牛、羊、鳩、また畑の作物等、すべては一切傷のないものでなければならないとされていました。しかし、実は私たちすべてはキリストの十字架の贖罪の業によって完全に潔められ、聖なるものとされ、み神の前に立つに相応しい者とされました。私たちはこのことに気付いて心から悔い改め、神のみ前で懺悔と苦行をするのではなく、感謝と賛美を捧げ、父・子・聖霊のみ神に栄光がありますようにと、礼拝を守り、使徒に続く者として歩むのです。 主よ、今日のみ言葉に励まされ強められて、喜びをもって賛美を捧げます。アーメン 【主の祈り】

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