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『善い業のために造られた私たち』 2020年7月12日

【聖[書箇所】 エフェソの信徒への手紙2章1-10節 【説教題】 『善い業のために造られた私たち』 【説教】 石丸泰樹

一、エフェソの人々が崇めてやまない女神アルテミス(豊穣多産の神)が約束しているこの世の権力、悦楽を求めるのではなく、救い主イエス・キリストと父なる神を信じなさいと、「天地創造の前からの壮大な愛の計画」を説いてきたパウロは、2章に入り、今度は私たちのこの世の人生について最も大切な生き方を示します。 二、「以前は過(あやま)ちと罪」に生きていた、いや「死んでいた」というのです。「過ち」という語は「パラプトーマ」で「過ち、踏み外し」と訳される語です。罪(ハマルティア)という語は「的(まと)をはずす」という意味で「私たちは何を目指して造られているのか」ということを問題とします。パウロは自分を含めてエフェソの人々すべての悔い改めについて謙虚にふりかえり、これからの人生を深く思うのです。 三、5節から「共に…」という表現を多用することによって、パウロは大切なことを悟るようにと語ります。「キリストと共に生かし(5節)シュゾオポイエオン=一緒に生かす、生命を与える」、「共に復活させ(6節)シュネゲイロ=共に起き上がらせる、共に復活させる」「共に王座に付かせる(6節)シュンカシゾー=共に天の王座に着かせて」など「シュン=共に、一緒に、同時に」という接頭語を持つ言葉を用いて、神様のみ心を力を込めて説こうとしているのです。これは身近な言葉では「シンフォニアー和音、合奏、音楽、シンパシー同情」など。同じ思いを共有することです。パウロは「天地創造の全能の愛の神様が深く身をかがめるようにして、何としてでも私たちと共に歩んで行こうとしておられる」ことを説いているのです。  罪はこの神様のみ心を悲しませることです。律法や規則、儀式や形式を破ることではなく、神の愛に鈍感でいることです。マタイ19:16、マルコ10:17に伝えられる「金持ちの青年との対話」にありますように、型通り正しい生活を送っている、つじつまを合わせて、毎日を安心して送っている者の「共に生きる、共に座す、共に感じ感動する」ことのない、きれいに磨かれたステンレスのような、何でもはじいてしまう心ではなく、心から耳を傾け、生返事ではなく、目と目をあわせて答えることが大切なのです。我が子、主イエスの名によって祈りなさいと、祈ることを赦して下さった愛の神様にどのように祈っていることでしょうか。「子供を怒らせてはなりません(6:4)、子供をいらだたせてはならない(コロサイ3:21)」。天地創造のみ業が完成した時の世界は、主なる神の祝福に満たされた世界であった、ということです(創世記3: 3)。神の業、良い業をおこなうということは、「神がお遣わしになった者を(主キリスト・イエス)を本心から信じることです(ヨハネ6:29)」  主よ信じます。不信仰な私をお許し下さい。アーメン

主の祈り

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