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『使徒パウロよりガラテヤの人々へ』 2024年1月7日

説教題: 『使徒パウロよりガラテヤの人々へ』

聖書箇所: ガラテヤの信徒への手紙 1章1~5節

説教日: 2024年1月7日・降誕節第2主日

説教: 大石 茉莉 伝道師

 

■はじめに

主の年2024年が始まりました。そしてこの2024年新たにガラテヤの信徒への手紙を共に読み進めてまいりたいと思います。今日は1章1節から5節が与えられておりますけれども、まずはこの手紙の著者や時代などからお話ししたいと思います。

 

■著者と場所

この手紙の著者、パウロは多くの手紙を書いています。新約聖書目次のところを見ていただきますと、四つの福音書、使徒言行録の次にローマの信徒への手紙があります。ここからフィレモンへの手紙、一般的にはここまでがパウロの手による手紙と言われています。この中にはパウロ自身によるものではないのではないかと言われるもの、つまりパウロの後継者とか協力者がパウロの名を用いて書き送ったものもあると言われることもありますが、今ここではそれは問題とは致しません。これから取り上げるガラテヤ書、これは明らかにパウロ自身による手紙であるということは間違いがないとされています。さて、パウロ、サウロであった時代には、キリスト教徒を迫害する者、ファリサイ派の中のファリサイ派、誰にも劣ることはないと自負する律法学者でありましたが、紀元33年、ダマスコ途上で主イエスと出会い、衝撃的な回心をいたします。そして主イエスの福音を知らせるために、伝道者として旅を始めます。伝道旅行は37年ごろから、67年にローマで殉教の死を遂げるまで、30年に渡り、大きく3回の伝道旅行を行いました。パウロはガラテヤに手紙を書く以前に、ガラテヤを訪れ福音を告げ知らせました。それも一回のことではありませんでした。このガラテヤ、当時はローマの属州でありました。ガラテヤ地方というのがどのあたりなのか、と言いますと、現在のトルコ、北は黒海、南は地中海に挟まれたアナトリア半島でありますが、その中心あたり、首都アンカラを中心とした南北に広がる広大な地域、現在はアナトリア高原と呼ばれるエリアがガラテヤ地方と呼ばれる地域であります。聖書巻末にありますパウロの宣教旅行の1、2・3を見ていただきますと、どちらの地図も真ん中あたりに、ガラテヤの文字を見つけることができます。私は以前、トルコを旅したことがあります。イスタンブールから、このガリラヤ地方を通って、さらに東のカッパドキアまで行きました。バスで移動しましたが、ただただひたすらひまわり畑が続いていたり、遠くはシルクロードに通じる交易商人たちが泊まったキャラバンサライと呼ばれる宿泊施設の一部が残っていました。いずれにしても、現在でも乾いた地が果てしなく続くという印象でありました。2千年前、パウロはこのような乾いた地を歩んだのであろう、と思わされました。

パウロの第一の伝道旅行の道のりは聖書巻末の1を見ていただければわかります。左上にアンティオキアとあります。地中海に面したペルゲからピシディア州のアンティオキアへ向かったことが使徒言行録13章14節に記されています。パウロはバルナバをともなっていました。このピシディア州アンティオキアから、イコニオン、リストラへの歩みが使徒言行録14章へ続けて記されています。このピシディアのアンティオキアはのちにローマの属州となり、そして南ガラテヤと呼ばれるようになりました。パウロが最初の伝道旅行でこのエリアに教会を創り、そして第二回伝道旅行の際もここを通過し、そして中央部、北ガラテヤと呼ばれるエリアへと伝道を続けたことが使徒言行録16章に記されます。そして第三回伝道旅行でもガラテヤの地方を巡回し、弟子たちを力付けた、ことが18章に記されています。この手紙が、広いアナトリア半島の南側か、北中央部どちらの教会に向けて書かれたものであるかと言うことについては、確定できませんが中央部とする見解が一般的であります。

 

■執筆の動機

さてこのように数回、ガラテヤを訪れたパウロでありました。伝道者となったパウロは熱心にキリストの救いの恵みに与ることの喜びを語りました。元々、ユダヤ教を信じていた人々は、律法を守ることによって救われると信じていましたが、パウロは、人は律法によって救われるのではない、十字架のキリストを信じることで救われる、という信仰を語ったのです。パウロ自身、律法を大事に生きるファリサイ派の代表的な学者でありましたが、キリストの福音によって律法を超える者とされたのです。これは神の深いご計画と御心によるものであります。

当時のユダヤ教の律法の象徴的なものとして割礼がありました。割礼は清めの儀式であり、清め、清潔を守ることは宗教的義務でありました。清められた者だけが神との契約のうちに置かれるのであり、また神に選ばれた民のしるしでありました。ですから、男の子が与えられたならば生後8日目には割礼を施す、これはイスラエルの民にとっては当たり前のことであり、割礼を施さない、と言うことは共同体からの排除を意味していました。そのように生きてきた彼らに、パウロは、必要なのはキリストの十字架のみ、十字架信仰だけのキリスト教であり、律法なしで、割礼なし、でキリストを信じるだけで救われる、と言う福音を語ったのです。パウロの時代にキリストを信じる者へと変えられた人々は、皆、元々はユダヤ教を信じる者たちでありました。従って子供の頃に割礼を受けた人たちです。そのような人たちはキリストを信じる者となったのちも、モーセ律法にも熱心でありました。使徒言行録21章20節にも何万人もの人たちがキリストを信じる者となったのちも、皆熱心に律法を守っていたことが記されています。この箇所にもパウロが「子供に割礼を施すな。慣習に従うな。」と言っている、つまり、モーセ律法から離れよ、と教えている、ということに戸惑っている様子が書かれています。キリストを信じる者となっても神の掟、神から与えられた律法は守っている方が良いよね、そのように考えるのは、自然なことでもありました。このようなユダヤ教とキリスト教との共存、これがパウロの時代のキリスト教の前提としてあったのです。

ガラテヤの人々もパウロの熱心な伝道によって、多くの者たちが主イエスの十字架による救いを信じました。しかし、元々がユダヤ教の律法を守って生きてきたのですから、やはりユダヤ教は体に染み付いています。福音を教えられても、それを信じる、キリストの十字架を信じるだけでは何だか十分ではない気がして、やはり、律法を守らなければ救われないと思うようになったのです。それはこのガラテヤに限らず、エルサレムの教会でも同様でありました。さて、パウロは伝道の旅を続けているわけですから、福音を伝えて建てた教会の人々と常に一緒にいるわけではありません。そしてこのガラテヤにおいて、キリストへの信仰よりも律法を重んじる人々が、彼らの信仰を乱すことになり、それがパウロの元に聞こえてまいりました。「信仰」か「律法」か・・・このガラテヤの信徒への手紙は、この信仰か、律法か、と言う問題に対してパウロが書いた手紙なのです。そう言う意味で、この手紙は、パウロの激しい怒りと嘆きによる強い手紙であります。そのようにしてパウロは律法を守ることによってではなく、ただただ神の恵みを信じることだけで救われる、神の恵みから離れるな、と言うことを力の限りに伝えようとしているのです。従って、この手紙が福音を教えるものとなっているのは当然なことであり、今を生きる私たちにとっても福音、神の恵みの豊かさが改めて与えられるでありましょう。

 

■始まりの挨拶

さて、やっと本日与えられた御言葉に目を向けたいと思います。私たちが手紙を書きますときには、差出人である自分の名前は手紙の最後に書きますけれども、この1節にありますように、誰々から誰々へと言うように、差出人から宛先を書くのがこの時代の手紙の定式でありました。従いまして2節まで合わせて見まして、差出人パウロから、宛先ガラテヤ地方の教会へ、となっています。日本語訳では、1節の最後の部分に「使徒とされたパウロ」とありますが、原文のギリシア語では「パウロ、使徒」という語からこの手紙を書き始めています。つまり、パウロが「使徒である」ということが強調されています。パウロは最初にもお話ししましたように、元々はキリスト者を迫害する者でありました。そして、十二弟子たちのように、主イエスが人としておられたとき、共にいたわけではないのです。

それゆえにパウロのことを偽使徒という者たちもありました。「使徒」とは「遣わされた者」「派遣された者」という意味です。パウロは、自分は神に遣わされた者である、神によって任命された者である、とキッパリというのです。しかしながらそのことは、直接に証明できることではありません。キリスト教会においては、イエス・キリストの使者であり、イエス・キリストによって任命されて、伝道に遣わされた者、それが「使徒」であると考えられていました。パウロは自分が使徒であることの根拠は、復活した主イエスが出会ってくださったことである、と理解していました。新約聖書320ページ、コリントの信徒への手紙Ⅰ15章5節以下でパウロは「ケファに現れ、(つまりシモン・ペトロに現れ)、その後十二人に現れ、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」と述べています。このように復活した主イエスが出会ってくださったことが、パウロが使徒であることの根拠であります。しかし、ガラテヤの教会の人々は、エルサレム教会の指導者の権威によって認められることなどに重きをおいていたのでしょう。それゆえに、パウロは今日の1節において「人々からでもなく、人を通してでもなく、」とパウロは自分が遣わされたのは、教団のような権威によってではなく、また、ペトロのような使徒の手によるものでもない、自分を遣わした主体は神である、というのです。そしてまた、その後に続く言葉「イエス・キリストと、キリストを通して死者の中から復活させた父である神によって」とあります。ここで明らかにしておかなければならないことは、キリストの死と復活が語られていることです。パウロが使徒であることの根拠は、「イエス・キリスト」であるのと同時に、「キリストを死者の中から復活させた父なる神」であります。パウロにとっての大転換は復活した主イエスが出会ってくださったことであり、それは神が「キリストを死者の中から復活させた」からであります。私たちは「主イエスは復活した」と言いますけれども、正確には「父なる神によって主イエスは復活させられた」です。そのことをパウロは明確に、述べているのです。

 

■パウロのためらい

パウロが書いたとされる手紙の冒頭には、特徴的な言葉があります。ローマ、エフェソ、フィリピの教会の人々には「聖なる者となった◯◯の人たちへ」と書いていますし、あれこれ問題があったと言われているコリントの教会にあてても「神の教会」という表現を用いています。これはそれぞれの地にあって、主なる神の恵みに溢れる教会、共にある兄弟へという一体感、親愛の情を表す表現ですが、このガラテヤの信徒への手紙には、そのような親愛の表現は用いられていません。単に、パウロそしてわたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ、と書かれています。救いはキリストの十字架にある、そのことから揺らぎ、福音が歪められているこのガラテヤの教会に対して、パウロは苦々しく、しかし、「兄弟たち」と呼んで、なんとか思いを告げようと試みているのでありましょう。

 

■結び

3節には祈りが書かれます。キリストにあって生きる者同士の挨拶は祈りとなるからです。父なる神と御子イエス・キリストから与えられる恵みと平和は、救いに結びつき、そして主イエスの救いに与る者が受けることのできるものであります。そしてこの4節にこのガラテヤ教会への手紙にしかないことが書かれています。「キリストは、わたしたちの父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」それが主イエスのご生涯であり、十字架であり、復活でありました。キリストの十字架による救い、主イエスが御自身を与え尽くした、

その恵みの大きさ、深さを語らずにはいられないのです。パウロは神の深い御業を強調し、このように、手紙の挨拶を書くのにも、パウロは心を込めて書いているのです。

手紙の挨拶の最後、5節は「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン」と頌栄で締めくくられています。すでに少し触れましたように、パウロは福音が歪められて、キリストの恵みから離れてしまっているガラテヤの人々に対しても、共に神に栄光を帰すことを祈り願い、こうして神を崇め讃えるのです。このガラテヤ書は今を生きるわたしたちに恵みの原点を問いかけるものであります。主イエス・キリストは今を生きる私たちのためにも、御自身を与え尽くしてくださったからであります。最初に申しましたとおり、このガラテヤ書は「信仰」か、「律法」かということをとことん追求している手紙です。それは決して、この時代に限ったことではなく、わたしたちにも突きつけられている問いであります。改めてそのことを思い、ガラテヤ書の福音を味わってまいりましょう。

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