【聖書箇所】 ヨハネによる福音書21章15-25節 【説教題】 「主よ、あの人は?」 【説教】 石丸泰樹牧師
一、朝の穏やかな光の中で、弟子たちは主と共に食事をする恵みを与えられました。ご復活後、主はお会いする度に「平安があるように」と挨拶してくださいました。主のご受難への懺悔の気持ち、逃亡してしまった自分たちを思い浮かべ、申し訳なさ、情けなさに打ちひしがれる気持ち。それが少しずつ癒されていったのではないでしょうか。「私は世を裁くためではなく、世を救うために来た(12:47)」。 慈しみの主イエス、愛そのものである主イエスが、「私を愛するか」の問いを向けられたのは、食事をもう一度、共に頂くことにより、愛の関係がもう一度しっかりと双方に取り戻されたので、発せられたものでしょう。学校の先生が大声でしかり飛ばす。親が散々文句を言い募る。そこで「分かったか」と問われ「分かりました、もうしません」と言わされる。私たちはいじわるな、重苦しい上下関係に益々押し込められる、というのではありません。悔い改めは私たちを新たな一層強い交わりへと解き放つのです。 二、主イエスの「愛するか(21:15)」は、誰かとくらべて、またそれ以上にということでもありません。「この人たち」は、マタイ6:32に、「食べ物、着る物、飲み物」を求めて思い悩むなの「これらのもの」と同じ字です。神の国と神の義を求めなさい、なのです。この「愛するか」の問いかけにより、ペトロは勿論、聞いているすべての弟子たちが愛の豊かな関係へと互いの心が解放されていくことなのです。人と人の関係も、教会の中で互いの奉仕も「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに」生きる信仰生活の表現なのです(フィリヒ゜3:8)。同席している弟子たちもこの問いを聞いています。自分たちも答えたいのです。幼い子どもたちが、先生から問われた素敵な問いに、自分たちも答えたくて沸き立つ気持ちを押さえながら笑顔一杯に、愛する友の答えを待っています。主の投げ掛けた問いに答える、あの信仰問答なのです。 三、続いて主は二度「私を愛するか」と問われます。これは大変印象深い問答で有名です。主の問いの初めの二つは「アガペー」です。神様の愛を表す時に用いられる最高の高貴な贖罪の愛です。それに対して、ペトロが返事で答えた言葉は三つともフィリアです。フィリアは家族の愛、友人の愛(フィラデルフィア)、学問への愛(フィロソフィア)、音楽調和への愛(フィルアルモニア)などです。暖かな人間的な愛です。 主はペトロの気持ちに合わせたのでしょうか、最後はフィレオ(動詞)するかと言われました。これに対して、ペトロの返事は三回ともフィリアです。この愛の言葉の違いを重要視して説明する読み方をする人々もいます。しかし主はペトロのおおらかな暖かい笑顔、言葉、ジェスチャーに現れる人柄が大好きだったのです。主は、私たちの混沌とした世界、私たちの罪が神様の創造の秩序を乱してしまい、信頼の関係を砕いてしまった世界に、あのクリスマスに時を定めて最愛の一人子をお送りくださいました。十字架の死による贖いによって、天地創造の神様が、天地、宇宙、水の中の生き物、地の上の生き物、空の生き物をすべて「良しとし、祝福し、聖別された(創2:3)」という、あの最初の神様の喜びの交わりへの、また最高の秩序への招きの最後の確認ではないでしょうか。神のみ業に参加しなさいとのお招きです。その第一歩が宣教の業です。マルコ1章15節の主の宣教のみ言葉を野に山に村里につたえるのです。ペトロがこれから出会うすべての村人とフィリアすることができるように。 四、ペトロはAD64年頃、殉教の死を遂げたと伝えられます。第1世記には司教、司祭などの呼称はありませんでした。ましてやペトロは「教皇(PAPA)」とも呼ばれていない。3世紀には司教、司祭の呼称が用いられるようになっていましたが、専制的な決定権は認められなかった。各教会の司教が会議を開き、愛の交わりのなかで法を決定していったのです。大きな変化はAD313年のローマ皇帝コンスタンティヌスによるキリスト教公認の決定でした。これで迫害はなくなりましたが、多くの司教たちが自分の説が正しいと主張するようになりました。その一つが「キリストは聖なる神であり、汚れた人間性は持っておられない」というアリウスの説。「キリストは神であり、同時に本当に人間に成られたのだ」というアタナシオスの説が出て対立しました。教会の分裂の危機でした。AD325年皇帝コンスタンティヌスがニカイア(現トルコ)にローマ帝国全地域から200名の司教を招集し(費用を皇帝が全額負担)、皇帝が議長となって、どちらが聖書に基づいた正しい理解であるかを決定しました。政治と宗教の避けることのできない関係が始まりました。主イエスから受ける「平和(14:27)」と「愛(13:34)」に生きる教会であり続けましょう。 「イエスの愛された弟子」ヨハネは(諸説ありますが)福音書、手紙、黙示録等を残しAD90年頃殉教しました。長生きをしましたが、多くの主にある兄弟、姉妹の殉教を祈りの内に見守るつらい経験。AD70年、ローマへの反乱の故に、エルサレムの神殿が、街が破壊し尽くされ、主イエスの預言のとおり「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない(マタイ13:2)」様子をも見届けました。AD79年のイタリア、ポンペイ郊外のベスビオ火山の大噴火によってポンペイの町が全滅したことは、遠くエーゲ海のパトモスの島に迫害を受け幽閉の身で(黙示録1:9)聞き、犠牲者のために執り成しの祈りを命の主に捧げたことでしょう。 主イエス・キリストへのひたすらな信仰に生きたヨハネが残して下さった「福音書」を、世界を覆う新型コロナとの戦いの中で読むことができた幸いを感謝しましょう。 その時、わたしは主の言葉を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」 わたしは言った。「わたしが、ここにおります。わたしを遣わして下さい。」 (イザヤ6:8)
【主の祈り】
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