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『主に従って歩む道』2026年3月1日

  • 3月2日
  • 読了時間: 10分

説教題: 『主に従って歩む道』

聖書箇所: 旧約聖書 詩編34:2-23

聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書16:21-28

説教日: 2026年3月1日・受難節第2主日 

説教: 大石 茉莉 牧師

 

はじめに

「この時から」今日の箇所はこの言葉から始まっています。共観福音書はいずれもペトロが「主イエスこそがメシアである」と告白したことに続いて今日の箇所を記していますけれども、マタイは「この時から」と、新たな転換点をはっきりと示す言葉を使っています。そして「必ずエルサレムに行き」と言っておられます。これまで主イエスはイスラエル北部のガリラヤ湖周辺を中心にして活動しておられました。しかし、この時、主イエスが示された場所はエルサレム。はっきりとそこが目的地、それも最終目的地であるということが示されたのです。主イエスは弟子たちに「長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と前もって弟子たちに打ち明け始められました。主イエスご自身による受難予告です。受難予告は3回示されますが、ここが最初の受難予告です。

主イエスは、ご自身が多くの苦しみを受けて殺されて、三日目に復活することに「なっている」という言い方をなさいました。これは、神がそのようにお決めになっている、ということを意味する言葉です。主イエスが多くの苦しみを受けて、十字架にかけられて殺されて、そして三日目に復活する、それが父なる神のご意志、ご計画であるということです。この父なる神のご計画を主イエスは、この時に初めて弟子たちにお話になられたのです。それを語るべき時が来た、ということです。それが今日の始まりの「この時から」という言葉の意味するところです。

 

■ペトロの信仰告白

「この時から」、それは先週ともに聞きましたペトロの信仰告白を受けての時であるということです。主イエスは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。そしてシモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です。」と告白しました。そのペトロに主イエスはそのような告白をさせてくださった天の父なる神に感謝し、ペトロに「あなたは幸いだ」と祝福されました。さらに「この岩の上にわたしの教会を建てる」とも言われました。主イエスが十字架にお架かりになって死なれ、そして甦りをなさって、父なる神のもとに帰られて、この世においては、そのことを信じる者たちの群れとしての教会ができていくわけですが、その教会の土台となる岩が、ペトロに与えられたこの信仰告白なのです。天の父なる神が弟子たちに信仰をお与えになり、それを告白する時が与えられたのです。主イエスは、いよいよ主イエスご自身がお受けになる受難を語る時が来たと判断なさいました。こうしたメシアの告白の後に語られたのは、栄光ではなく、苦難と死の道でありました。神の救いの計画は主イエスの十字架の苦しみと死、そして復活によって成し遂げられるのです。生ける神の子である主イエスが、人となってこの世を歩んで、そして最後には十字架の苦しみと死をお引き受けくださることによって私たちの救いが実現します。それが天の父なる神の御心であるがゆえに、主イエスはその道を歩まれました。この十字架と死、それが何のためであるのかが私たちの救いのためであるということは、信仰の目が与えられていないと分かることではありません。敵対してきた人々の殺意や策略によって、主イエスが挫折して無惨な死を遂げたというようなことではなく、神が主イエスをこの世にお遣わしになったこと、それ自体が私たちの救いの実現のためであり、それは十字架の苦難と死と分かち難く結びついているのです。それゆえに救いの実現を信じる信仰告白がなされたその時こそ、主イエスがお受けになる受難が語られる時であるということです。前回の最後20節に、主イエスはご自分がメシアであることを誰にも話さないようにと言われたことが記されていますが、このように言われた理由は今日の箇所、受難予告と結びついているのです。人々が抱いていた「メシア」とは支配しているローマ帝国を打ち破る力を持つ王、華々しくエルサレムに入城し、かつてのダビデのように新しい強い国を建設していく、そのような王でありました。しかし、そのような人間の期待とは大きく隔たりがあるのです。主イエスがメシア、救い主であられるということは、主イエスの十字架と復活、その時が来て分かることなのです。それゆえに今は誰にも話さないように、と言われたのでした。

 

■サタンの試み

主イエスの受難予告の衝撃的な言葉を聞いたペトロは、「イエスをわきへお連れしていさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』」と申しました。ほんの少し前に主イエスこそ生ける神の子、メシアであると告白したペトロです。そのペトロが主イエスの言葉を否定して、そんなことはあるわけがない、と反論しています。ペトロは人々の期待と同じように、いえ、むしろそれよりも強く、堂々とエルサレムに入城する王としての主イエスをイメージしていたのでありましょう。主イエスが救い主として人々を救うということを信じているがゆえに、「そんなことがあるはずがない」と思ったということです。不信仰ゆえの言葉ではなく、主イエスに対する忠誠心から出た言葉と言えましょう。しかし、この言葉をお聞きになった主イエスはどうされたか。23節です「イエスは振り向いてペトロに言われた」とあります。この「振り向いて、振り返って」というのは単なる動作の描写ではないのです。主イエスは弟子たちを前にして十字架へと向かう道を語っておられました。その背後からペトロの声がかかったのです。後から来る声、それは弟子の声を装った誘惑の声でありました。それゆえ、主イエスは振り返ったのです。その声に正面から向き合われました。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。」サタンとは人間を神から、神の恵みから引き離そうとする者。神の救いの御業を妨害する者です。マタイ4章において、主イエスが伝道に先立って荒れ野で悪魔の誘惑をお受けになった時、サタンは主イエスが父なる神から与えられた使命を果たすことを妨げて、神の望んでおられる道と違う道を歩ませようとしました。まさにそのサタンがここに現れて、主イエスの歩まれる道を変えようと試みているのです。ここで問題にされているのは、ペトロ個人の人格ではなく、ペトロの「向き」なのです。「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」ペトロはイエスの後に立つ弟子であるはずでした。しかしここで、主イエスの前に立って、主イエスの道を塞いでしまったのです。それゆえに主イエスは言われました。「引き下がれ」この言葉はとても強く、ペトロを拒絶したかのように聞こえますが、直訳すれば「私の後に位置を変えよ」という言葉です。弟子としての位置へ戻す言葉なのです。

 

■信仰の中心に

主イエスが言われた「神のことを思わず、人のことを思っている。」これは私たちそれぞれにおいても、常に直面することであろうと思います。私たちは神を信じ、神を讃え、神に祈りを捧げますけれども、その祈り、願いは時に自分中心なものとなります。神の御心を問うことよりも、神ならこうしてくださるはずというように、自分の願いや自分の思い、期待を信仰と錯覚してしまうのです。ペトロが主イエスのお受けになる受難を否定したのは、メシアとしての栄光に満ちた歩みを期待していたからです。そして主イエスがお受けになる栄光の背後に、自分たちの安心、安全、自分たちの栄光をも期待していました。主イエスに従うという信仰によって、苦難に遭うことなく幸せな人生を送ることができるという期待です。それゆえに、栄光の根拠である主イエスがそのように十字架にかかって死なれるという受難は、とんでもないことでした。そしてそれはそのまま私たちにとってもとんでもないこととして迫ってきます。しかし、神が私たちにお与えになろうとしておられる救いというのは、独り子である主イエスが多くの苦しみを受け、十字架に付けられて殺され、そして三日目に復活することなのです。

本来、人間は神によって「すべてよく」造られたにもかかわらず、アダムに始まる背き、カインに示される罪、その後、イスラエルの王たち、人間たちは神から離れるという罪を犯し続けました。その罪のすべてを清算するために、主イエスが人として遣わされ、そしてすべての人間の身代わりとなって、苦しみを受けて、十字架上で死んでくださったのです。すべての人間が犯し続けてきた罪は、罪のないお方が身代わりになるということでしか清算されないということです。それが神の与えてくださる救いなのです。神の救いの御心というのは、主イエスの御受難、十字架、そして復活です。ですから、私たちは神が主イエスによって与えてくださるこの救いの御心を受け止めて従う、それしかないのです、それが信仰です。主イエスによって、そして弟子たちによってイスラエルに始まった救いは今や地の果ての私たちにまで届いています。私たちも主イエスに連なるものとして、その信仰の中心には主イエスの十字架が置かれているということをはっきりと受け止めたいと思うのです。

 

■  自分を捨て

今日の旧約聖書は詩編34編を共に聴きました。この詩編は神の信頼に生きる信仰者の歩みを歌ったものです。聴いていただいてわかるように、神に信頼して生きる信仰者のあゆみは決して平坦な、災いのない歩みではなく、むしろ20節にあるように、「主に従う人には災いが重なるが/主はそのすべてから救い出し骨の一本も損なわれることのないように/彼を守ってくださる。」と災い、苦難があることが記されています。しかし、その中で、主に従う人を主は守り、支えてくださる、と詩編の詩人は歌います。主イエスは弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と言われました。私たちが主イエスの十字架をそれぞれの信仰の中心に置き、主イエスがこの私のために十字架にかかって死んでくださったと主の前にひれ伏す時、私たちは苦労、苦難の中においても、神に信頼して歩むことができるのです。「神のことを思わず、人間のことを思う者たち」、それは神の御心よりも自分の思いを優先させることです。主イエスは苦しみをなくす神ではなく、苦しみの中に共におられる神として歩まれたのです。神のことを思うとは、神のご計画が十字架を通してこそ真のいのちが与えられることに目を向けることであり、敗北と見えるところに神の力が現れることを信じることであり、死の向こうに復活があることを信じるということであります。「自分を捨て、自分の十字架を背負って従う」という言葉から私たちは、自己否定に生きなければならないと考えがちですがそうではありません。主イエスのその後26節のお言葉からもわかりますように、自分の命を本当に得ることができる生き方をすすめておられるのです。「自分を捨てる」という招きは、決して自己否定ではありません。私たちの命は、私たちの力や努力によって支えられているのではなく、命を与え、お定めになっている神が支えておられる、それゆえに神を見失ったら、私たちは自分の命を失うのです。ですから、自分を捨て、自分の十字架を背負って主イエスに従う道は、私たちが自分の命を本当に得るための道であると言っておられるのです。私たちが自分の力や正しさに頼らず、砕かれた時、そこには主イエスが最も近くいてくださるということです。十字架の道とはまさにこの場所へと導かれる道なのです。自分を捨てるとは、神に信頼し生きるという方向へ向きを変えることであり、「十字架を背負う」とはたとえ苦しみの中にあったとしても、主が共にいてくださることを信じ、歩むことです。「自分を捨てる」という招きは、詩編34編の19節に「主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる。」と響き合っています。主は主により頼む者たちに最も近くいてくださるのです。

 

■結び

そして主イエスご自身が十字架上で砕かれました。捨てられて、十字架にかかられたのです。その道を通って復活の命が開かれました。主イエスのお言葉にはこのようにありました。「三日目に復活することになっている。」十字架の苦難で終わらないのです。十字架は終わりではありません。しかし、十字架なしには復活はありません。主イエスが父なる神に従い通して歩まれたその道に私たちも招かれています。私たちはペトロのように、主イエスを愛しながらも、主イエスの道を拒んでしまう愚かさを持っていますけれども、それでも主は私たちをお見捨てにはなりません。受難節の今、改めて主イエスの御受難を心に刻み、神のことを思う信仰へと立ち帰らせていただきたいと祈り願います。

 
 
 

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