説教題: 『まことの王はろばの子に乗って』
聖書箇所: マルコによる福音書 11章1~11節
説教日: 2023年5月21日・復活節第七主日
説教: 大石 茉莉 伝道師
■はじめに
さて、今日からマルコによる福音書11書に入ります。お読みいただいてお分かりの通り、ついに主イエスはエルサレムにお入りになられます。少し前の10章32節、エルサレムへ向かう主イエスのご様子を見て「弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。」と書かれておりました。先頭に立ち、そしてエルサレムにしっかりと目を向けて、決然とした面持ちで、凛とした厳しさをも漂わせるそのお姿は、弟子たちも緊張と共に恐れを覚えるほどでありました。大きなことが起こる予感は弟子たちもしっかりと感じていたのであります。
■ベタニア
一行はエルサレムの手前のオリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとあります。聖書に記されているのはベトファゲが先でありますけれども、エリコからの道筋ではベタニアを先に通ることになります。ベタニアという地名の本来の意味は「悩む者の家」「貧しい者の家」という意味であります。繁栄と権力の象徴であるエルサレムとそれとは対照的なベタニアという地名を、マルコは対照させて意図的に記しているのでしょう。さて、このあたりに来た時、主イエスは二人の弟子を使いに出されます。「向こうの村に行きなさい。」その村には誰も乗ったことのない子ろばがつないであるので、それを連れて戻ってくるように、というものでありました。この「向こうの村」というのが、今申しましたベタニアかどうかははっきりしません。ベタニアはマルコによる福音書ではここで初めて登場いたしますけれども、他の福音書にはもう少し主イエスとのつながりを示す手がかりがあります。マタイ26章では、重い皮膚病の人シモンの家、そしてそこに主イエスがおられた時に、主イエスに高価な香油を注ぐ女性の話としてベタニアが出てまいります。ヨハネ11章ではマリアとその姉妹マルタの出身地として、そして死から甦らせた兄弟ラザロのいたところとしてベタニアが出てまいります。そこには「ベタニアはエルサレムに近く、15スタディオン」つまり3キロ弱であることが記されています。そのように見てまいりますと、このベタニアという地には主イエスは何度か足を運ばれていることがわかります。子ろばももしかしたら、そのような知り合いと話がついていたのかもしれません。しかし、そのような人間的なつじつま合わせのようなことはどちらでも良いことです。父なる神は必要な時に必要なものを備えてくださるからです。
■子ろばに乗って
ゼカリヤ書9章9節「娘シオンよ、大いに踊れ。/娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。/見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗ってくる。/雌ろばの子であるろばに乗って。」預言者ゼカリヤによる預言であります。ここには、イスラエルの王が、エルサレムにろばの子に乗って来られることが告げられています。主イエスが子ろばを必要とされるのは、まさにこの預言の成就であります。主イエスはここで弟子たちに、誰かがなぜそんなことをするのか、と問われたならば、「主がお入り用なのです。」と言いなさいとおっしゃいました。ここで主イエスはご自身のことを「主」とおっしゃっておられます。このようにご自身を「主」とお呼びになったのは、この箇所しかありません。子ろばの持ち主は誰かわかりませんけれども、主である私が借りたいのだ、と神の御子としての権威を明確に示されています。主イエスは王として臨まれているのです。そしてそれは父なる神のご計画である、私はそれを実行する者であるという決然たる意志が示されております。さて、そして子ろばに乗って、というのはどのような意味があるのでしょうか。今お読みしたゼカリヤ書に、どのような王として来られるのかということが示されています。「高ぶることなく」とあります。そのしるしがろばなのです。王は凱旋する時、普通は馬に乗って凱旋します。しかし、主イエスはまことの王として、力による支配ではなく平和の王として凱旋されたのです。続くゼカリヤ書9章10節にこうあります。「わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。/戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。/彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。」軍馬とは対照的な子ろばに乗って、神の支配のもとでは戦車や軍馬、弓は絶たれて平和が告げられるのです。主イエスはそのようなまことの王としてエルサレムに来られたのです。軍馬ではなく子ろば、戦争ではなく平和、驕りではなく柔和。主イエスは平和の王としてエルサレムに入城されました。
■戻される子ろば
そして「主がお入り用なのです。」に続く「そしてすぐここにお戻しになります。」も目を留めるべき言葉でありましょう。ろばは旧約聖書においてどのように扱われていたかと言いますと、出エジプト13章13節に記されています。すべての家畜の生む初子は神に捧げることが定められておりましたけれども、「ろばの初子の場合は、小羊をもって贖わなければならない。もし贖わない場合は、その首を折らねばならない。」そう記されています。つまり、ろばは卑しい動物であり、神に捧げるにはふさわしくないとされていました。主イエスは旧約聖書に精通しておられましたから、当然、出エジプトにこのように記されているのをご存知でありました。そこには主イエスの覚悟が示されております。「神に捧げるにふさわしくないろば」に乗って、私はエルサレムに入城する。それは、「わたしはメシアであり、人々を救うために来た。しかし、あなたがたが期待する軍馬ではなく、ろばの子である。それは私がろばのように卑しめられて死ぬことを知らせるためである。」ということです。ろばは忍耐強く人間の荷物を黙って背負います。そして主イエスも人々の重荷を背負うためにいらした、そう言われるのです。そしてろばは私の入城の時だけ必要なのである。なぜならば、私のエルサレム入城は戻ることのない道だからです。だから、借りたろばは子の入城が済めば持ち主にすぐにお返しするのです。ここにも主イエスがこの入城の意味、入城の後、その道をきちんと見据え、父なる神のご計画を実行することに忠実であられること、その決意が示されています。
■主イエスを迎える
さて、そうして二人の弟子が子ろばを連れてきて、その上に自分の服をかけました。主イエスはそれにお乗りになったのです。そして多くの人々は自分の上着や、野原から葉のついた枝を切ってきて、道に敷きました。王が歩かれる道にじゅうたんが敷かれるように、人々は自分の上着を脱いで主イエスの行かれる道に敷いたのです。人々も主イエスを王として迎え入れたのでありました。そして人々は叫びます。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」この「ホサナ」という言葉は、
「おお、どうぞお救いください」「いま救ってください」という意味の叫び声であります。続く10節には「我らの父ダビデの来たるべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」旧約聖書の預言者によって、このダビデの子孫から、イスラエルの王が生まれ、民を救う救い主として来られることが告げられていました。人々は、主イエスを「ダビデの子」と呼び、ダビデの子孫である救い主として受け入れたのです。詩編118編25節には「どうか主よ、わたしたちに救いを。/どうか主よ、私たちに栄えを。」と記されております。この言葉がまさに、「ホサナ」であります。人々は、主イエスに向かって、「どうか私たちに救いを、わたしたちに栄えを。」と期待を込めて叫び声をあげながら、主イエスのエルサレム入城をお迎えしたのでありました。
ここで少し当時のユダヤの祭りについて説明する必要があります。この「ホサナ」という言葉と共に、木の枝葉を用いるのは仮庵祭の習慣でありました。仮庵祭とはユダヤ人がエジプトを脱出した後に、40年間荒れ野でテント暮らしをしたことをお祝いするお祭りです。そのため、この時には仮設の家、つまり仮庵を建てて住むことになっており、その材料として茂った木の枝とかなつめやしの葉などが用いられたのです。
そして仮庵祭と並んで大きな祭りであるのが過越祭です。この過越祭は預言者モーセが奴隷状態にあったユダヤ人たちをエジプトから連れ出したことを記念する祭りであり、エジプト王にユダヤ人の解放を認めさせるために、神は10の災いを下しました。それはナイル川の水を血に変える、ブヨやアブ、またイナゴの大軍を放つなどでした。そして最後の災いが初子を皆殺しにするというものでありましたが、このときに神様の命令によって、小羊の血を戸口に塗ったユダヤ人の家だけは初子は殺されることなく過ぎ越されました。つまり過越しのために、小羊の犠牲が捧げられたのです。歴史の順番から言いますと、モーセが連れて出た過越祭が先にあり、そして40年間の荒れ野の記念である仮庵祭があります。この主イエスのエルサレム入城の際に、人々が「ホサナ」と叫び、枝葉を敷いたのは仮庵祭の習慣であり、主イエスは仮庵祭の前に、過越しの祭りがあり、そして過越祭では犠牲が捧げされなければならないということを充分にご存知でありました。その過越祭で捧げられる犠牲、それが何であるのか、それがこのマルコ福音書の最終局面として覚えておかなくてはならないことであります。
ここで主イエスをお迎えした人々は、主イエスの前を歩き、そして後ろを歩き、主イエスの歩まれる道を共に歩く者たちでありました。その者たちは、いままで従ってきた弟子たちであり、前回、その目が開かれたバルティマイもいたことでしょう。いずれにしても主イエスと共に歩む者たちが、王としての主イエスをほめたたえているのです。ここでこうして「ホサナ」と主をたたえ、迎えた人々はわずか五日の後には、「十字架につけろ」と叫び声をあげることとなります。
■結び
「こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になっていたので、十二人を連れてベタニアへ出ていかれた。」今日の最後の11節はそのように記しています。神から遣わされたお方、いえ、神そのものであられるお方が神礼拝の中心であるエルサレム神殿に入られたのであります。本来ならば、神に仕える者たち、祭司たちが出迎えるところでありましょう。しかし、そうではなく、神殿は静かに何もなかったかのような夕方を迎えていたのでした。
主イエスはベタニアに向かわれました。はじめに申しましたように、ベタニアとは、「悩む者の家」「貧しい者の家」という意味であります。主イエスはエルサレムをお出になり、そして「悩む者・貧しい者の家」と呼ばれた共同体で憩いの時を過ごされそして休息されました。主イエスが寄り添われたそのような人々の群れ、それはまさに教会です。私たちのこの群れも主イエスがそうして憩われ、そして祝福をお与え下さり、そしてまた、翌日、エルサレムへと、ご受難へとその身を差し出されました。
主イエスのご受難は王としての受難です。主イエスが王であられ、そして王がそうして十字架で死ななければならないことは矛盾しているように見えます。しかし、王の王であられ、いのちも死も全てを司る権威あるお方が、十字架で死なれる、この事を通して、罪の解放、罪からの救いは完成、成就するのです。エルサレムの十字架を通らずして、私たちへの祝福、救いはありません。主イエスは力を持って支配する権力者としてではなく、平和の王が私たちの心の王座を占めるのです。柔和、謙遜、優しさを備えたまことの王、王の王はろばの子に乗ってわたしたちのこころにそのように入ってきてくださった、そのことをあらためて覚えたいと思います。
Comments