『あふれる恵み』 2020年6月21日
- NEDU Church
- 2020年6月21日
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【聖書箇所】 エフェソの信徒への手紙1章7-10節 【説教題】 『あふれる恵み』 【説教】 石丸泰樹牧師
一、「わたしたちはこの御子において・・贖(あがない-身代金を全額払い終えなければ解放されない)-そうです、この御子は天地創造の前から、父なる神のご意思により、わたしたちを選び、神の子にして下さるとの神の決定によりクリスマスに天よりこられた方です」。わたしたちは、この御子の血によって贖われ、汚れも罪もないものとされました。私たちは自力で自分の行動について償(つぐな)うことができるケースがあること知っています。与えた損害に相当するお金で、あるいは現物で。時にはある期間労働することによって。しかし命や人格についての損害については、誰かの執り成しの贖いがなされなければ、償われることはありません。ましてや全人類の贖いはだれも担い切れません。この父なる神様は「命の木を選ばず、善悪の木を選んで、隣人を自分の決めた善悪の基準で裁き続けている全人類を」愛をもって救いとろうとマリアの子「イエス(『神は救い』の意味)」をお遣わし下さったのです。私たちはこの「主の贖い」の業の土台に立つことによって、今生きているのです。「神はこの恵みを私たちの上に溢れさせ、すべての知恵と理解とを与えて」下さいました。自分の人生のまた世界の謎がこの知恵によって解けるのです。 二、「知恵」という語は「ソフィア」です。上智大学と訳されている語「ソフィア・ユニバーシティ」です。最も崇高な事柄に関する知識、人と神とに関わる不変の深い知識です。「理解(フロネーシス)」は人間の生活にとって便利なもの、日常生活の問題解決のための変化していく状況の中で大切にされる知識です。自分にとって好き、嫌い:便利、不便:最新流行、古い学説等々。2000年前、アテネの学者たちは「何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで時を過ごしていた(言行録17:21)」。神様はこの両方の理解力を与えて下さいます。「体の灯は目である-目が澄んでいるように-沈んだ顔つきをしない-顔を洗い-頭に油をつけなさい(マタイ6:22、16、17)」。 三、良い種を蒔いたつもりであった。しかし毒麦がでてしまった。「行って抜き集めておきましょうか」と弟子たちは問うた。しもべたちは、主人は良い種を蒔けと言われた。毒麦の種が混ざっているはずはない。急いで毒麦を抜き捨てて、きれいな畑にしたい。何事も無かったかのように、春の美しい緑の畑にしてみせる(マタイ13:24 -. 36-.)。主はいわれた「刈り入れる者は、あなたたちではない。天使である。人の子は天使たちを遣わす」 クリスマスの前にマリアは身ごもった。ヨセフは「正しい人であったので」ひそかに何事もなかったかのようにしてしまおうとする。しかし天使が言う。「愛には恐れがない(Ⅰヨハネ4:18)」。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい(マタイ1:19)」。 正邪の判断は人や、社会や、歴史を分断しますが、愛は理解されなくとも、無視されても執り成しの祈りの内に一つにしようとします。自分の支配の内にではなく、自国の勢力圏の中にでもなく、キリストのもとに一つにまとめるのです。 キリストの名による教会の中は老若男女身分経歴貧富国籍の別なく「こうして救いの業が完成され、あらゆるものが、お頭であるキリストのもとに一つにまとめられます(1:10)」「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった(創世記l:31)」ここにみ神の御祝福の原点があるのです。 主よ、感謝します。何と言う恵み、何と言う幸い。今ここに生きるとは。アーメン 【主の祈り】
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