top of page

『ただ神の御心に従って』 2024年1月28日

説教題: 『ただ神の御心に従って』 

聖書箇所: ガラテヤの信徒への手紙 1章18~24節

説教日: 2024年1月28日・降誕節第5主日

説教: 大石 茉莉  伝道師

 

■はじめ

今日与えられております箇所は、前回からの続きとも言える箇所であります。その11節からの小見出しには「パウロが使徒として選ばれた次第」と書かれております。つまり、パウロが主イエスとの出会いによって大転換を遂げ、使徒としての務めが与えられた、そしてそれはただただキリストからの啓示によるのだということを明らかにする、そのことにパウロは注力しています。前回も申しましたけれども、この箇所はパウロの自伝的な文章であると言われています。パウロがサウロからパウロと変えられ、ユダヤ教徒としてキリスト教を迫害する者であったのに、キリスト者へと変えられたこと。そして神は生まれる前から、母の胎内にある時から選んでくださったのだ、そして私に異邦人宣教の務めを与えてくださったのだ、ということを丁寧に告げ知らせています。前回の16節に「異邦人」という言葉が出て来ております。この異邦人という言葉はこの手紙の中でキーワードとなる言葉です。ユダヤ人は神の選びにある民と自覚しておりました。この「異邦人」というのはユダヤ人以外の全ての民族を指していて、神の選びの外、神の恵みから外れているという意味の言葉です。パウロに与えられた使命とは、このユダヤ人以外、わたしたちをも含む「異邦人」の救いのための宣教であるということです。ガラテヤ教会の人々の混乱もこのユダヤ人と異邦人という問題であるわけです。つまり、ユダヤ人以外の割礼を受けていないキリスト教徒、異邦人が救われるはずがない。せめてユダヤ人と同じく割礼を受けて、神の救いを受けるに相応しい条件を整えるべきだというような主張が、教会を混乱させました。これが「ほかの福音」とパウロが皮肉を込めていう間違った教えです。敵であったこの自分さえ愛してくださり、救ってくださったのだから、そのような人間側の条件は全く関係ないのだということをパウロはここで告げているのです。

彼は誰にも相談せず、エルサレムに行って先輩の使徒たちに会うこともしませんでした。おそらく当時は、新しく伝道者となる者はエルサレムにいき、そして承認を得るようなことをしていたのでありましょう。しかし、パウロは神から直接に受けたものを大切にするために行かなかった。アラビアに退いた。そしてそこから再びダマスコに戻った、と前回の最後17節に記されています。このアラビヤに退いたのは、なぜであったのか、その理由は明らかにされておりませんけれども、「退いた」という言葉から想像しますに、パウロはあまりに突然に与えられた召命の出来事を深く考え、神の前に鎮まり、沈黙の時を過ごした、と考えるのが自然でありましょう。主イエスも40日荒野で過ごされました。モーセもミディアンの地で過ごして、イスラエルの民を率いるための準備をいたしました。つまり、神はその使命を託される時、人を避け、ただ神とのみ過ごす時を用意されていることがわかります。それは私たちも同じでありましょう。私たちにとっては、日々、たとえ短い時間であったとしても、奥まった自分の部屋に入り、扉を閉めて父に祈りなさいと言われていることは皆さまご存知の通りです。パウロは三年のそのような時を持ってから、再びダマスコへと戻ってきたのであります。

 

■神との時間

パウロはダマスコで福音宣教に携わっていたことが、使徒言行録9章19節以下に記されています。今まで主イエスの名を語る者、主イエスの名を呼び求める者を滅ぼしてきた男が、「この人こそ神の子である」と主イエスを讃えるようになった。人々は驚き、うろたえましたが、パウロはますます力を得て、主イエスをメシアであると論証したのです。パウロは裏切り者として命を狙われることとなりますが、それまでの自分、そして変えられた自分を知っているダマスコで主を証しすることが何よりであると思ったのであろうと思います。

そして3年の時を経て、ケファと知り合いになるために、エルサレムに上り、15日間彼のもとに滞在した、そう18節に書かれています。ケファつまりシモン・ペトロと初めて会うためにエルサレムに行ったのです。ここでは指導を仰ぐというようなことではなく、知り合いになる、さらに言えば、何者であるかを確かめるという意味の言葉が使われています。ですから、これからの福音宣教のために、互いの役割を確認しておくのは良いことである、と考えて、会いに行ったということです。すでにエルサレム教会の指導者であったペトロに指導を仰ぐというような意味は全くなく、パウロは自分の目で確かめ、挨拶を交わす、という対等の関係での交わりを持ったということです。パウロはすでに異邦人宣教のミッションを神から与えられております。彼はその使命の達成のために、互いに祈りあう、そのような関係を築きたいと思ったのです。互いの祈りの中で相手を覚えて祈る、そのことの大切さを知っていたのです。ペトロと過ごしたのは15日間だけでした。ここからわかりますことは、パウロが神との交わりの時を何よりも大切に考えていたということです。その神に向かう時間の中で、次にすべきことが示され、そしてペトロに会いに行ったということです。何が一番大切であるか、それはペトロとの関係性ではなく、神との関係性、神との絆なのです。そのことをこのパウロの行動から知ることができます。そして次の19節には、「ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。」と書かれています。わざわざパウロがこのように言うのは、彼は自分の働きを使徒たちやエルサレムの教会の人々に宣伝するようなことはしなかった、そのために行ったのではない、と言うことを明らかにしておくためでしょう。それゆえ他の人とは会わなかった、当時のエルサレム教会の中心人物の一人である主の兄弟ヤコブには偶然に会うという機会が与えられた、と言っています。パウロはそのことを、神の御前で断言して、嘘をついているわけではない、と強調しています。このガラテヤの教会の人々に宛てた手紙で、誰に会ったか、会わないか、を語る意味はなんであったのでしょうか。

 

■ただ神の御心に従って

パウロがこの手紙の最初から主張したこと、ガラテヤの人々に伝えたかった事は何であるのか、を今一度、振り返りますと、11節「わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」とあるように、人間的なものによるのではない、直接的に神から啓示されたのだと主張してきました。回心の後、アラビアに退き、神との時間を持ち、そしてペトロにもヤコブにも会ったけれども、それはいわば今後の協力関係の挨拶のようなものであって、自分の福音の正しさを認めてもらうようなことは一切なかった、と言いたいのです。かつて律法を師から学んだように、この福音を誰かから学んだのではない、かつてファリサイ派の中で実力を認められてエリートになっていったように、使徒たちから推薦されて伝道者となって福音を宣べ伝えているのでもない、ただただ神との関係の中で福音を宣べ伝える者とされたのだ、自分の宣べ伝える福音は混じり気のない、神からの直接のものなのだと言うことを明らかにしているのです。自分の福音の根拠は神にある、その混じり気のない、純粋な福音をあなたがたガラテヤの人々に伝えたのだ、そのことを伝えるのがパウロの意図するところです。

今、ガラテヤの教会は人からの誘惑に惑わされそうになっている危機的な状況です。私、パウロがあなたがたに伝えた福音は、人によらず、ただ神によるものなのだ、どうかいろいろな教えに振り回されず、揺り動かされず、キリストを土台とする教会として踏みとどまってほしい、パウロはそのような思いを込めて、「神の御前で断言します」と誓約の言葉を口にして訴えているのです。パウロは第一コリント15章3節でも「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」と神の啓示に基づく福音は人間的なものによらないのだと語っています。これがパウロの福音の原点であるのです。パウロはキリストとの出会いが素晴らしいものであったことを別の手紙でこのように言っています。フィリピの信徒への手紙3章5節以下、「(わたしは)律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」パウロの方向転換はパウロ本人の思いを超えて、180度変えられるものであり、そしてその素晴らしさゆえに、持っていた価値あるものの輝きは失せて、塵、ゴミ、クズとなったというのです。それほどにキリストに結ばれることによって新しく生きる輝きがあることをパウロは告げるのです。

 

■パウロの活動場所

21節でパウロは「その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。」と記しています。ここで地理的なことをおさえておきたいと思います。そもそもパウロが主イエスと出会った回心の場所、ダマスコ途上、このダマスコとはどこなのか、と言いますと、聖書巻末の地図6.新約時代のパレスチナの地図の一番右上に見つけることができます。その次の7.パウロの宣教旅行1という地図には記載がありませんが、大体で言うと右下シリアの下にキロメートルの表示が書かれていますが、この0のあたりと思っていただいたら良いかと思います。そこからアラビアに退いたわけですが、アラビアとはどのあたりかというとエドムよりもずっと南、紅海の近くであったのではないかと言われています。そこで3年近くの時を過ごし、そしてダマスコへ戻りました。その後、ケファ、ペトロへの挨拶のために、エルサレムへと向かうわけです。ダマスコからエルサレムへは大変な道のりです。そして再びダマスコへ戻り、その後、シリア、キリキアへと向かったと言うことでありますが、これは北の地へと向かったと言うことです。聖書巻末地図の7.パウロの宣教旅行を見ていただきますと、右側にシリアが記されており、地中海に面した北側にアンティオキアという地名を見ることができます。この地のことは使徒言行録11章19節以下に記されています。地図で見てお分かりの通り、キプロス島からも近いところであります。この地には異邦人伝道の拠点となったアンティオキア教会が建てられていました。パウロがなぜこのように自分の宣教活動のルートを示したのか、それは今地図で見ましたとおり、パウロの活動範囲はエルサレムからかなりの距離があります。彼は自分のルートを示すことで、自分の宣教活動がエルサレムの使徒たちに左右されるものではないということを明らかにしているのです。エルサレムの使徒たちにとっても、パウロの衝撃的な回心は驚きであり、疑う者さえいたのです。すぐに手に手をとって、共に宣教に、とならなかったのはやむを得ないことでありましょう。パウロに示された神からの使命は異邦人のための救いでありました。正統的エルサレム教会の者たちにとっては、敵であったパウロが異邦人の救いのために命を捧げようとしているということもすんなりとは同調できなかったのです。

パウロはただ敵であった自分を愛してくださった神、救いへと方向転換させてくださった、その奇跡的な、あり得ないと思える神の偉大さを伝えるために、パウロは自らの体験を引き合いに出して語ります。23節にそれが示されています。「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」

 

■結び

パウロはガラテヤを混乱させている現状から、福音の原点へ立ち戻るように伝えるために、こうして自叙伝のように、自らの体験を語りました。しかし、自分のことを語りながら、自分のことを語るのが目的ではありません。敵であった自分が愛された、救われた、それを語るのは愛してくださったキリストを指し示し、神の救いの御業を指し示すためでありました。私たちはこのようにパウロの生き様を知ることが出来ますけれども、それよりもパウロを通して、神の御業の偉大さを知ることができるのです。

最新記事

すべて表示

『御心を尋ね求める』 2025年3月30日

説教題: 『御心を尋ね求める』  聖書箇所: 旧約聖書 レビ記13:1-8 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書8:1-4 説教日: 2025年3月30日・受難節第4主日  説教: 大石 茉莉 牧師 ■ はじめに...

『岩の上に立つ家』 2025年3月23日

説教題: 『岩の上に立つ家』 聖書箇所: 旧約聖書 詩編62:2-9 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書7:24-29 説教日: 2025年3月23日・受難節第3主日 説教: 大石 茉莉 牧師   ■ はじめに 5章から続いてきました山上の説教の締めくくりの御言葉が与...

『神の恵みを覚えて』 2025年3月16日

説教題:  『神の恵みを覚えて』 聖書箇所: 旧約聖書 詩編103:1-13 聖書箇所: 新約聖書 マタイによる福音書7:15-23 説教日: 2025年3月16日・受難節第2主日  説教: 大石 茉莉 牧師   ■ はじめに...

Comments


bottom of page