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『沈黙の恵み』 2022年11月27日

説教題: 『沈黙の恵み』 聖書箇所: ルカによる福音書 1章5~25節 説教日: 2022年11月27日・待降節第一主日 説教: 大石 茉莉 伝道師

■はじめに

今日、11月27日の主日から待降節に入りました。待降節とは、アドヴェント。主イエスが人としてこの世に来て下さったことに感謝し、喜び祝うのと同時に、主が再び来てくださることを待ち望む時です。教会ではアドヴェントのこの時、アドヴェントクランツというリースに立てられたろうそくに、毎週1本ずつ火を灯してまいります。イエス・キリストの誕生は光にたとえられます。旧約聖書イザヤ書9章1節に「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」と書かれております。主イエスがお生まれになったのは、イザヤのこの預言の成就であると言われます。救い主としてお生まれになるその主イエス・キリストの誕生を心待ちにする、その光の象徴としてろうそくに明かりを灯していくのです。このろうそくには1本ずつ意味が込められ、そして名前が付けられています。今日灯された1本目、これは「預言者のキャンドル」。先ほどご紹介したイザヤを表しています。その意味は「希望」です。そして2本目は「天使のキャンドル」、天使がマリアに主イエスを身ごもったことを告げたのです。意味は「平和」。3本目は「羊飼いのキャンドル」、主イエスの誕生を初めに天使から告げられたのは羊飼いたちでした。彼らが主のご降誕のお祝いに駆け付けたのです。その意味は「喜び」です。そして4本目は「ベツレヘムのキャンドル」、主イエスがお生まれになったベツレヘムを表しています。その意味は「愛」です。そしてご降誕日には別のキャンドルを灯します。名前は「イエス・キリストのキャンドル」まさにその名の通り、主イエスキリストを表しています。

今年の5月からマルコによる福音書の御言葉から続けて聴いてまいりましたが、待降節から降誕日までの5回はルカによる福音書の御言葉に聴いてまいりたいと思います。2000年前にこの世に人として来て下さった主イエスのご降誕を深く味わう時となるようにと願います。


■ヨハネとイエス

今日は1章5節から25節の御言葉に聴きます。洗礼者ヨハネの誕生の予告と小見出しが付けられております。このルカ1章から2章を見ていただきますと、すぐにわかることは、まずこの洗礼者ヨハネの誕生の予告、そしてそれに続いて主イエスの誕生の予告、そしてヨハネの誕生、主イエスの誕生、とヨハネとイエスが重なり合うようにして語られております。洗礼者ヨハネについて、私達がすでに学んでまいりましたマルコによる福音書を振り返ってみますと、主イエス・キリストの先駆けの使者として遣わされ、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え、人々にヨルダン川で洗礼を授けていました。ヨハネは後から来られる主イエスの先駆けとして、そのための働きをしている、と告げています。マルコはその始まりから、悔い改めを説き人々に洗礼を授けるヨハネ、そして主イエスはそのヨハネから洗礼をお受けになって、そしてヨハネが捕らえられたころに伝道を始められた、いわば、大人のヨハネと主イエスを記しています。しかし、ヨハネと主イエスはその誕生前の前から折り重なるように、神様は計画しておられたのです。ルカによる福音書はそのことを丁寧に記しております。今日はまずはそのヨハネの誕生にまつわる物語を見て参りましょう。


■ザカリアとエリザベト

時はヘロデ王の時代、これはヘロデ大王の時代です。ヘロデは彼の父がユダヤの総督になったのを機に、ガリラヤの知事として任ぜられ、その後も首尾よく立ち振る舞い、紀元前40年にローマからユダヤの王として認められるに至りました。さてルカはその時代にザカリアとエリザベトという老夫婦がいたことを記します。このザカリアは祭司の職にありました。祭司とはユダヤ教で儀式を司る人々、その数は2万人ほどもあったと言われています。神殿における務めを指揮する者、他には役人や裁判官、門衛、楽器を奏でて主を賛美する者たち。神殿に仕えるそれらの人々でおよそ3万8千人いたと歴代誌上23章以下に記されています。さてその中でも祭司は、神殿の奉仕、すなわち、供え物のパン、穀物の捧げものなどの責任を負い、朝夕に主に賛美を捧げ、主への捧げものすべてに関する責任を負う者たちでありました。彼らはグループ分けされて、今でいうところのシフト体制によって正しく務めを果たしておりました。その中のひとりにザカリアがいました。彼の妻はエリザベト、アロン家の娘の一人とあります。アロンはアブラハムの血を引く由緒正しい家系であります。彼も妻も神の前に正しい人であり、主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかったと書かれています。二人は日々、主の前に正しく歩みを続けてきた夫婦であったのです。そのような夫婦にも問題はありました。それは妻エリザベトが不妊の女性であったことです。子どもが与えられないということは、神様からの祝福を受けていないからであると考えられていました。今でこそ、子供のあるなしはそれぞれの夫婦によるとやっと少しずつ思われるようになってきましたが、ごくごく最近まで子供の持てない女性はどこか認められていないという現実がありました、実際には今でもあるでしょう。私も子供を持つことができませんでしたから、悔しく悲しい思いをした経験はもちろん数知れずあります。今でもそのような状況でありますから、時は2千年前、女性は物の数に数えられず、女性は子供を産むことが仕事と思われていたのですから、それができないとなりませば、その苦悩は現代の比ではありません。ましてやザカリアもエリザベトもすでに年を取っていました。二人の悩み、嘆きは深いものであったことでしょう。もはや子供が与えられるなどということはあり得ないことで、二人の中で棘のような痛みをもつものであったのです。神様を信じ、夫婦で誠実に生きてきたが、夫婦二人とも年を取ってしまい、神様の祝福は受けられなかった、とザカリアとエリザベトの夫婦は思っていたし、また、周りの人々もそのように見ていました。


■ザカリアの願い

祭司であるザカリアが当番であった時、聖所に入って香を焚くことになりました。香を焚くための壇は50cm四方の正方形で、高さは90cmほどの箱型をしているようです。この正方形は全イスラエル、また全世界というような普遍性を象徴するのと同時に、神と人とが共に住む神のヴィジョンの完成をも象徴しています。そしてこの香炉、香壇から立ち上る煙は祈りであります。香壇は神のご計画を実現させるものですから、そこから立ち上る煙は神のご計画と神の約束が実現することに関わる祈りなのです。その祈りを神に執り成すことが祭司の務めでありました。

ザカリアがその務めを果たしていると、主の天使が現れました。ザカリアは「不安になり、恐怖の念に襲われた」と書かれています。ザカリアは長年、祭司として神殿の祭儀、つまり礼拝のために仕えてきました。ザカリアは神の前に正しく歩み、妻と共に神の御心に従って歩んできた人です。そのように歩んできたザカリアだからこそ、神様が今まさに自分に対して直接に向かい合ってくださっていることに不安と恐怖を覚えたのです。信仰者は自分の罪深さを知っているがゆえに、神様の前に立つことなどできない汚れた者であることを自覚しています。それゆえに、神様の御前に出ることの恐ろしさを知っているのです。そんなザカリアに天使が語りかけます。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。」ヨハネの誕生と主イエスの誕生の予告、そしてその誕生は重なり合っていると始めに申しました通り、この「恐れることはない。」という天使の言葉は主イエスの誕生の予告の時、マリアにも告げられています。神様からのこの語りかけによって、私たちは大胆に神様の御前に出ていくことができるのです。

ザカリアに天使が告げた「ザカリアの願い」、それは、妻エリザベトが身ごもること。自分たちに子供が与えられるということです。神様の祝福の証しである子供が与えられることをザカリアとエリザベト夫婦は長年祈り求めてきました。その長年の願いが聞き入れられ、そして実現する。ザカリアにとって全く予期しなかった喜びの知らせが天使ガブリエルによって告げられました。19節に記されています。「私はガブリエル。神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。」驚くべき祝福が告げられたのです。この「喜ばしい知らせ」という言葉は、「福音」という言葉です。ルカは主イエスの物語を、このような喜びの物語として福音を語るのです。

ここには、神様の恵みがどのようなものであるか、そしてどのように与えられるのかが示されていると言えるでしょう。神様の恵みはわたしたちの常識では計り知れない大きなものであり、そしてまた私たちの常識や思いをはるかに超えた仕方で、恵みの御業をなしていかれるのです。


■ヨハネの使命

ザカリアは神様からの大きな恵みの知らせをこうして聞くことになりました。そしてそれは、ザカリアとエリザベトの一家族に子供が与えられるという個人的な祝福ではありませんでした。ヨハネと名付けられるその子供は、「多くの人もその誕生を喜ぶ」のです。彼ら夫婦の喜びであるのはもちろんですが、それにとどまらず、人々の喜びとなることが告げられています。15節、16節にはこうあります。「彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。」ヨハネが神様によって選ばれ、聖霊に満たされて、神様のみ心を行っていく者である、と言うのです。続く17節には「主に先立って行き」とイエス・キリストのことも告げられています。ヨハネは主イエスに先立って行き、人々の心を神様に向け、準備のできた民を主イエスのために用意する、そのような使命をヨハネは神様から与えられている、と言うのです。ルカの記す「福音」はこうして始まりました。


■結び

このような喜びの知らせを聞いたザカリアは話すことができなくなりました。ヨハネが生まれるまでの間、ここで何が起こったのかを、誰にも、妻のエリザベトにも語ることはできませんでした。すでに年を取っていたザカリアとエリザベト夫婦なのです。ザカリアは自分たちに子供が与えられる、そのことをにわかに信じることはできませんでした。ですから、「何によってそのことを知ることができるでしょう」としるしを求めました。それが実現するその時まで、神によってザカリアは沈黙の中に置かれたのです。それは罰ではありません。神から与えられたその大いなる恵みをただ神との対話によって味わうためです。その沈黙の時、神によって黙らせられた時、ザカリアは何を思い、過ごしたでありましょうか。ただひたすらに神との対話を続けたのです。ザカリアは自分の心に語り、神に語りかけ、そして神の恵みをじっくりと味わい、受け取る時となったのです。

私達にもそのような沈黙の時が必要なのではないでしょうか。現代は様々な情報が溢れています。そして音も溢れています。そうして私たちに入り込んでくる様々なものに私たちは振り回されます。自分が話す時、その時は自分の言葉しか聞こえてきません。本当に聴くべきものが聞こえないのです。

沈黙の恵み、黙する恵みをどうか大切にしてください。幸いにも私たちには祈りの時、そして礼拝の時が与えられております。それは大いなる恵みであります。神の前に黙して、神の語りかけを聴くことができるのです。主のご降誕を待ち望むこのアドヴェントの時、どうか2千年前のザカリアがしたように、神から与えられる恵み、喜びの知らせ、福音をじっくりと黙して受け取ることができる時となりますように、と祈り願います。


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